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2009年11月28日 (土)

長崎に来ました

Pb280002  朝食後、10時過ぎに家を出て、長崎南部教区の講習会のため長崎市に、午後3時頃着きました。

 ホテルは、長崎駅から10分前後のところです。少し早めに到着したので、「長崎あるこマップ」という地図を見て、近くに「日本二十六聖人殉教地」があるのがわかり、行ってみました。

 10分くらいで着きましたが、かなり急な坂を上ります。長崎が坂の街だということは、知っていましたが、これほど急な坂に、ずっと高い山の上まで家が続いていて、びっくりしました。

 日常の生活は、車がないと大変そうですが、車が入っていけそうもない入り組んだ狭いところにも、家が建っています。さぞや、足腰が鍛えられると思いました。

 殉教地は公園と資料館、教会があります。折角来たので、資料館に入り、日本のキリスト教の歴史を少しおさらいしました。

 1549年(?)にキリスト教が日本に入ってきてから、随分短い期間で、広まったように思えました。なぜなのかという疑問を持ちました。

 また、その後は250年位の長い間、キリスト教は禁止され、多くの人が迫害を受け、処刑されました。当時の人々は、キリスト教のどういう部分に救いというか、魅力を感じたのかと、興味を持ちました。

 教会は写真で見たら、手を挙げているように見えて、そばで見た時はそんなことは全く思いませんでした。

 長崎地方は、いま紅葉がきれいで、とりわけ桜がちょうど赤くなっていました。公園には、南京ハゼが色づいていました。こちらでは、街路樹などにポピュラーな木で、葉が赤くなると、白い実(多分?)とのコントラストが、メルヘンチックです。

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コメント

純子先生、ありがとうございます。

 日本のキリスト教の歴史についてですが、ブラジルも最初のキリスト教宣教師マノエル・ダ・ノブレガが1549年に到着して今のバイア州サルバドールで先ず学校を作りました。そこで先住民インヂオたちへキリスト教を教え始めたのが始まりです。
 この事は学校で習いました。その後、新聞で次のような情報をよみました。

 それは、日本へキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエル宣教師が日本に到着したのも同じ、1549年だったことです。
 マノエル・ダ・ノブレガ と フランシスコ・ザビエルはスペイン国のカトリック教会修道士イグナチオ・デ・ロヨラという人がが創立したイエズス会の宣教師でした。
 二人はイエズス会から派遣されて、フランシスコ・ザビエルはインドのゴアから日本へ、マノエル・ダ・ノブレガは当時発見されたばかりの新大陸ブラジルへ向かいました。
 このようにして日本とブラジルは同時期にキリスト教の宣布がはじまっていたと言うことは、歴史的な不思議な縁で結ばれていると思いました。
 
藤永三保子

投稿: 藤永三保子 | 2009年11月30日 (月) 08:15

藤永さん
 興味深いお話、お知らせくださり、ありがとうございます。
 八月にブラジルに行ったとき、サンパウロ市の歴史資料館で、ポルトガル人が、ブラジルに来た時の様子などを見ましたが、キリスト教が伝わったことなどと一緒に、思い出しました。
 ブラジルの場合は、植民地となり、インディオの人々は、苦難の生活を強いられましたね。

投稿: 谷口 純子 | 2009年11月30日 (月) 22:18

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