森の中へ行く
会議は午前中で終わりましたが、午後から家で原稿書きなどしていたので、朝食の写真だけです。お昼はお弁当が出ました。
今日は一時間くらい、質疑応答の時間がありました。森の中のオフィスの移転先が決定したので、森の中のオフィスについて質問が出るかと思っていましたが、建物について一つだけ質問が出ただけでした。皆さん、よく理解されているのか、あるいは今のところ直接関係ないと思われて出なかったのかもしれません。他には色々質問が出ました。
オフィスの建物は、環境共生建築の分野では第一人者と言われている方に、設計等をお願いすることに決まっています。これも、コンペで決めましたので、私は皆さんに自慢できる素晴らしいものができると、大いに期待し、楽しみにしています。
ところで、先日大泉に行って、三年後に住むことになると書いたところ、何人かの方からコメントをいただきました。
森に行くことについては、普及誌白鳩の三月号に私の思いを書きましたが、もう少し肩の力を抜いて、森に行くことについて、書いてみたいと思います。
「森の中のオフィス構想」が提案されたのが、平成16年、(2004)7月でした。それから約五年半が経っています。
生長の家の本部は東京の原宿にあり、こんなに便利なところはありません。私の住まいも同じく原宿で、森の中に移転すると最初に聞かされた時は、「吃驚仰天」とんでもない、私は行きませんなどと、いっていました。
東京は、文化、芸術、経済、などの中心地であり、交通も東京を中心にして整備されています。私たち生長の家は、出家の宗教ではなく、在家の宗教ですから、森の中に行くということは、出家になるのかとそんな疑問も浮かんできました。
でも、反対するだけではなく、なぜなのかと自分で納得のいくようにいろいろ勉強を始めました。理屈では、それが正しいことと言われても、疑問が次々に出てきて、不安になるのでした。
普及誌に書いたことと重複しますが、ただ「理屈はよくわからないが、言われることを信じましょう」では、納得できなかったからです。
地球温暖化が言われているけれど、それは本当はどういうことなのか、その解決のためには、何ができるのか、そのようなことを色々な本を読み、自分で考えることによって、初めて、その意味と自分たちがなにをすれなよいのかということが、心から納得できるようになりました。
そしてまた分かったことは、都会生活を捨てて、森に行くということは、自分の欲望を捨てるということでもあるということでした。
今は、田舎暮らしがちょっとしたブームで、特に定年退職者などが、田舎に住むということはありますが、生長の家の本部が森に移転するということは、自分たちの好みで行くわけではないのです。
職員もたくさんいて、家族の人たちは生活の基盤が東京にあります。そのことも十分承知の上で、私たちは森に行くことを決めました。
都会の生活は便利で、欲しいものは何でも手に入れることができます。けれどもそのような生活が、人間の欲望を限りなく駆り立て、その結果として、現代の地球温暖化の問題を引き起こしました。
もちろん、都会にいても、欲望に振り回されず、天地の万物の恩恵に感謝して、足るを知る生活をすることはできます。実際に、今でも私たちは日時計主義の実践を通して、そのような生活をしています。
しかし、それだけでは現代の温暖化を食い止めることは難しい状況です。だれかが、どのような生活をすることにより、新しい文明を生み出していけるのかという、モデルを作らなくてはなりません。
そのような大きな理想を持って、私たちは森にいきます。
私たちが、生長の家の信仰者であるから、できることでもあります。自分の信仰が試される時でもあるわけです。自分のための信仰では、森に行くことなどできないでしょう。
神の御心にかなう生き方は何かを自分自身に問いかけ、肉体人間の欲望を捨てるという、難しいことではありますがその決意を、生長の家の本部の人たちはしていることと思います。
モデル社会を構築をすることにより、やがて本当は自分たちが望んでいた生活がここにあったのだと分かるようになるのではないかと思っています。
今日はこのことを書かなくてはいけないような思いが出てきましたので、長々と書いてしまいました。
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