東歌(あずまうた)
今日は東歌(あずまうた)を勉強しました。
東歌というのは、都を遠く離れた東の国の歌という意味。今の関東地方を中心に、中部地方、東北地方の一部で歌われた歌をいう。「萬葉集」巻十四の歌のすべて、二百三十首がこの東歌と呼ばれるものである。それらの歌は、大和朝廷の歌人たちの”都ぶり”の歌とはちがって、東国なまりそのままで歌われた、土の匂いのする”鄙ぶり”の歌である。
以上のように、「清川妙の萬葉集」の本では、説明されています。
京の都の人々の格調高い洗練された歌とは違い、生活の匂いのする素朴な歌のようです。
飾らず、普段着のままの素朴であけっぴろげな感情を表現したもの、恋の歌が多いです。
(かみつけの さののふなはし とりはなし おやはさくれど わはさかるがへ)
上野の国(群馬県)の歌。”舟橋”というのは、並べてつないだ舟の上に板を渡して作った橋。上野の佐野の舟橋を取り離すように、親は私たちをひき離そうとするが、私たちは離れようか。いいえ、離れることなんかあるものですか。
この歌から、清川先生は親の愛について、話してくださいました。
先生の奈良女子大学時代の友人で、とても愛情の細やかな人がいたそうです。仲良くて家庭を持った後も、子供も一緒にお互いの家に泊りあったりしました。
お友達には男の子と女の子の二人のお子さんがありました。下の女の子が年頃になって、熱烈な恋をしました。ところが相手の男性と言うのは、妻が自殺して、妻を亡くした人でした。
愛情の深いお母さんは、絶対反対しました。そしてその悩みを、清川先生に何度も電話で長々と話してきました。
その後、お友達は亡くなりました。月日は流れ、最近清川先生は、お友達の息子さんに30~40年ぶりに会われました。
亡き方の思い出話の中で、妹さんの結婚のことになりました。
お兄さん曰く「妹は母から逃れるために結婚したんです」
清川先生は、どんなに愛情が深くても、愛するがゆえに自分の好むように相手を縛るのは、困難な状況をつくりだすことになると言われました。。
縛られると、自由になりたいのが人間ですね。
放つ愛は難しいですが、縛る愛は自分も相手も苦しみます。
放つ愛を実践したいものです。
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コメント
純子先生
「放つ愛」ですか…難しいですね。私は、人生最初の生長の家のおみくじに「真の愛は、放つ愛である」と書かれていて、当時そして今もちょっと意味深すぎて理解に苦しむフレーズですが、きっと私に必要な「真理」なのだろうと今でも思っています。
「四無量心(慈悲喜捨)」とともに、人生のいろいろな場面で、咀嚼して、その都度確認・再確認していきたいと思っています。
投稿: 谷口 美恵 | 2010年7月14日 (水) 07:35
花も美しいですが「縛る愛、放つ愛」のお話は尚、美しいと思います、これは真理の言葉ですね、素晴らしい!(笑顔)。
投稿: 尾窪勝磨 | 2010年7月14日 (水) 10:34
合掌 ありがとうございます。
最近ですが、縛る愛(?)を、娘から指摘され、はっとしました。親の目にはとても素晴らしいお話と、思いきや、「その考えはお母さんの押し付けでしょう」
・・・。なにも言えませんでした。
はじめてはっきり、しかも、しっかりと告げられ、大人に成長している娘に、謝りました。
いつの間にか、彼女なりの人生観を築いていたのですね。母親より深い考えをしているのに気づいた夜でした。逃げられないように・・・。
投稿: 諌山綾子 | 2010年7月15日 (木) 00:32
谷口さん
本当に誰にとっても、難しいと思います。放つ愛のレッスンのために、人生があるのかもしれません。
でも、自分の愛が、多分に執着の愛だとの自覚があれば、少し救われるかもしれませんね。
投稿: 谷口 純子 | 2010年7月16日 (金) 22:21
諌山さん
親は良かれと思うのに、子供には余計なお世話と思われることありますね。
私は、自分の願いを子供に押し付けないように、日時計日記に、神に全托の言葉を書いています。
自分勝手な思いが出てくることがあるので。
投稿: 谷口 純子 | 2010年7月16日 (金) 22:29
ありがとうございます。
自分勝手な思いがでてこないように、神様に全托します。すぐ日時計日記に書きはじめます。ありがとうございます。
今日は母の24回目の命日でしたので、早朝より、大分県日田市まで、百キロを往復し墓参りに行きました。夫の実家と自分の実家のご先祖様にお参りし、そして一カ月ぶりの姑(95歳)、兄弟姉妹にも会えました。帰りは、どしゃ降りの雨の中、川沿いでしたので心配しながら戻って参りました。こちらは一滴も降っていませんでした。
雨の被害が数多く出ていますね。ご冥福をお祈りいたします。
投稿: 諌山綾子 | 2010年7月17日 (土) 19:09