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2010年7月11日 (日)

教修会終了

P7110001  今日は朝9時から教修会が始まりました。

 そのため、後片付けが楽なように、サンドイッチにしました。

 今日の発表の内容は、「日本における自然観に学ぶ」(神話・宗教的背景)、「今日の自然観」(心理学の視点から)の二つのテーマでした。

 日本における自然観は、昔話や神話など誰にもなじみのある話題だったので、興味深く聞くことができました。

 総裁のまとめの講話は、物事の核心に触れて、ハッとするようなものの見方を教えられました。

 一例では、中世の時代キリスト教の宣教師が、世界中に出かけていき、布教をしました。そのことについて歴史では、それらの宣教師たちは、伝道以外の目的、すなわち植民地支配のために送られたといわれています。まず人々にキリスト教を伝え、その後の植民地化や政策をスムーズに行うためだったということです。

 総裁は、宣教師たちは純粋にキリスト教を伝えたいという使命感で出かけて行ったのでしょう。

 けれども当時は政教一致でしたから、結果として植民地支配のために利用されたり、たまたま時代が重なったために、後世の人の目から見たらそのように見えることもあったでしょうということでした。

 信仰者としては、宣教師の教えを伝える純粋な動機は、よく理解できる部分だと思います。ところが、歴史でそのように教えられると、先入見のない、純粋な見方を失ってしまい、疑問に思わない傾向ができてしまいます。

 正しくものを見ることの大切さと難しさがわかりました。

 また、グリーン・バイブルの話も印象的でした。

 聖書には色々なバージョンがあり、聖書の記述の中でキリストの言葉の部分だけを赤い文字にしている聖書があります。

 最近、さらに聖書の記述の中の自然に関する部分だけを、緑の文字にした聖書が作られたそうです。

 その背景には、現在の環境破壊、地球温暖化の元凶として、キリスト教、および聖書がやり玉に挙げられることがあるからだそうです。

 聖書にはこんなに沢山、自然について書かれ、自然を大切にするよう示されていると、理解してもらうため、またキリスト教の信仰者にも、そのような視点を持ってもらうためなのでしょう。

 時代の変化に対応し、時代の要請に答えていくことの重要さを学びました。

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