被災地訪問
被災地を訪問しました。
今回の大震災の現場を実際に見たいと思っていました。
先週、本部からの支援物資、お米、野菜、お水、生活用品、自転車などを持って、トラックで本部職員数人が被災地の東北各県を回りました。
その職員から、道はガタガタしているけれど東北自動車道で行くことができると聞きました。
二日間しか時間が取れないので、宮城に行くことにしました。
朝6時半に家を出て、まずは車を満タンにしました。
7時に外苑から首都高速に乗り、一路東北道を目指しました。
9時前、上河内パーキングエリアでトイレ休憩して、そこからは私が運転しました。
11時ころには、宮城県の白石インターに到着し、高速道路を下りました。
ここまでは、震災復旧のためのトラックや自衛隊の車が多いのと、道路の補修の跡があり少しバウンドするくらいで、地震の痕跡はあまり感じられませんでした。
夫と運転を交代し、一般道の4号線を海寄りの岩沼方面に向かいました。
震災復旧のための車が、目立ちます。
この辺りは特に変化はなく、家の屋根にブルーシートなどが一部かけてあるところが、ところどころありました。
郊外型の店が並んでいる地域に入りましたが、どこも通常営業していました。
レストランも営業していて、お昼が近かったので、人が入っていました。
本部の人の話では、仙台に泊まった時は、素泊まりで食事はできなかったと聞いたので、朝おむすびを9個作ってきました。
朝食、昼食の分です。
数日で、だいぶ復旧が進んだようでした。
途中小さな個人スーパーがあったので、品物はどれくらいあるのか知りたくて、入ってみました。
60代の女性が一人店番していました。
ほとんど何でも揃っていました。
飲むヨーグルトと、ポンカン、白石名産の温麺の小さいパックを買いました。
ポンカンは夜宿舎で食べましたが、少し古かったです。
一時間くらい走って、仙台空港の近くまできました。津波の跡が見えてきました。
津波で流された車を集めて積み上げてある場所が、いくつもあります。
この辺りまで来たら、交差点にお巡りさんが立っていて、交通整理していました。
電気が復旧していないようです。
がれきの山や、形だけ残って中は何もない家などが見えてきました。
仙台空港は、今日から一般の運行が再開したそうで、取材の記者がカメラを構えていたりしました。
空港の建物は、外見は何ともないように見えました。
周りの施設はがたがたで、レンタカー会社の支店は骨組みだけが歪んで残っていて、そこに流されてきた木やがらくたがからまっていました。
空港から海までは、100メートル足らずのようでしたが、そのあたりの光景はすさまじいものでした。
がれきの山の中にところどころ家が残っています。
立派な外観をしていますが、窓ガラスはなく中は空っぽで、カーテンが風にはためいている様は、異次元空間のように感じられました。
突然そんな中から、人が10人くらい出てきました。
午後1時くらいになっていました。
自衛隊の人でした。
がれきの中なので、自衛隊の車も見わけがつきませんでした。
昼食の時間が終わって、午後からの作業に入るようでした。
膨大ながれきの山を片づけていくのだと思うと、気が遠くなりそうです。
それでも自衛隊の人たちは、ひとつひとつ片づけていってくれるのです。
ご苦労を思わずにはいられませんでした。
異様なにおいと、風が強かったので埃が舞い、マスクを着けていなかった私たちは、長くはいられませんでした。
私はすぐ車に戻りましたが、夫は少し見て回っていました。
道路一つ隔てて、天国と地獄があるというような光景に、言葉もありませんでした。
仙台市に入りました。
1時半くらいになっていました。
住宅街のわきに車を止めて、お昼をいただきました。
朝作ったおむすびです。
その後、宮城県の教化部に行きました。
事前に連絡をしていなかったので、驚かれるとは思いましたが、皆さんそれぞれにお忙しいと思ったので、突然訪問しました。
教化部の職員など、数名の方がいました。
「こんにちは」と普通に挨拶を交わしましたが、次の瞬間びっくりされました。
教化部長さんや五者の方は、気仙沼や石巻に支援に行っておられました。
教化部の中を見せていただきました。
何ともないように見えますが、壁に小さな亀裂が入っていたり、大道場の天井のつなぎ目が少しはがれていたりしました。
聖経を上げさせていただきたいとお願いして、大道場の実相軸の前で、聖経読誦をしました。
皆さんも一緒にしてくださいました。
今回の震災で亡くなられた方々の御霊のやすらぎと、被災者の皆さんの一日も早い生活の回復、震災の復興を祈念しました。
そのあとお茶をいただいて、震災後の様子などをお聞きしました。
仙台市が電気、ガス、水道などが復旧し、ガソリンも普通に給油できるようになったのは、ここ一週間くらいのことだそうです。
それまでは、ガスがあっても水がなかったり、水はあってもガスがなかったりで、ガソリンがないのは本当に大変だったそうです。
そんな中、自転車は重宝したしたそうです。
本部からも要請に答えて、自転車を30台くらい持っていきました。
三月に届くはずの普及誌もまだ届いていないところがあるようです。
全国の教区から支援物資も沢山届いていました。
お米は900キロくらい届いたそうです。
生長の家関係者だけでなく、近所の人や避難所にも分けるといっておられました。
岡山教区白鳩会からは、支援物資とともに、寄せ書きも送られていました。
教化部のどの部屋も支援物資で埋まっていました。
「これから、これらをどのように分けるか」と、うれしい悲鳴を上げていました。
最後に皆さんと記念写真を撮り、握手をして、宿舎に向かいました。
宿舎は、仙台市内のホテルはすべて満室でとれませんでした。
秋保温泉が市内の宿泊施設の一覧の中にありましたが、昨日の夜だったのでもう予約が取れませんでした。
最悪の場合は、車で寝ることも覚悟していましたが、今朝9時に電話して、秋保温泉の部屋が確保できました。
仙台市の中心から、20~30分くらいで行けるところです。
部分営業で、食事も通常のものは出せませんと言われました。
料金も半額くらいでした。
着いてみると、立派なホテルで館内は薄暗かったですが上等でした。
4時くらいに到着しましたが、朝早くからずっと活動していたので、少し疲れました。
久しぶりに大浴場や露天風呂に入り、疲れを取ることができました。
お風呂は人が一人、途中で二人入ってきました。
夕食は大広間でしたが、充分ごちそうでした。
震災の復旧支援の人も沢山泊まっているようでした。
ロビーには、その人たちのためにバナナが用意されてありました。
これからまだまだ大変ですが、それでも人の力は大きくて、復興に向けて力強く進んでいることを実感しました。
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コメント
合掌、ありがとうございます。
先生の本日の「恵みな日々」を涙ながらに拝読させていただきました。
総裁先生、白鳩会総裁先生御自ら運転されて宮城県を訪れて下さり、またお聖経を、今回の震災で亡くなられた方々のために、そして被災された方々、被災地の復興のためにあげてくださり、そしてお祈り下さり、ただ、ただありがたく、感激で胸がいっぱいでございます。
宮城教区の方々はどんなにか喜ばれ、勇気を、元気を戴いたことかと思います。
心より、心より感謝申し上げます。
投稿: 佐藤香奈美 | 2011年4月14日 (木) 09:46
ありがとうございます。宮城県仙台市在住です。幸いにも私が住んでいる旭ヶ丘は津波の被害にもあわず、家が地割れのせいで多少土台が下がって床が傾斜している程度で、大した被害はありませんでした。ライフラインが復旧するまではとても不自由な生活でしたが、今はほぼ普通の生活に戻っています。震災直後、大阪の白鳩会の方からは簡単に食べられる物とかペットのものなど送っていただき助かりました。これからまだまだ余震が続くといわれていますが、日々生長の家の生活を実践して行きたいと思います。
投稿: 高橋まり子 | 2011年4月14日 (木) 09:46
合掌ありがとうございます。
昨日は復旧が始まったばかりの御不便なところを宮城教区に足をお運び下さいました総裁谷口雅宣先生、白鳩会総裁谷口純子先生に心より厚く御礼申し上げます。当日は、震災後のお見舞い訪問と物資を届けに教化部長、講師会長と共に被害の大きかった気仙沼へ行っておりました。次の避難所へ車を走らせていたところ携帯が鳴り、白鳩会事務局からとわかりました。電話の向こうからは号泣に近い事務局長の声が・・・。「会長、大変なことになりました!!」と「総裁先生と純子先生が宮城に、教化部に来られてるんです!!」夢のような現実に驚きながらも、玄関の数々の機材とみなさまの御愛念の物資の山の教化部にいらっしゃるお姿にもまだ信じられない思いをめぐらせ、驚きと感動の私でした。同時に運転をしていた教化部事務局長にも連絡が入り、せまい車の中はそれぞれの驚きと感謝とうれしさとですごい状態でした。
この尊い尊い両先生の御訪問を避難所の方々にお伝えしました。みなさま驚かれながらも、ほっとしたうれしい笑顔を見せて下さいました。ありがとうございました。明日の総連合会長会議をはじめ、全会員さんに、うれしいありがたいこの度の御訪問をお知らせし、宮城県のこれからの新しいスタートの励みとさせて頂きます。総裁谷口雅宣先生、白鳩会総裁谷口純子先生ありがとうございました。信徒の代表として心から御礼申し上げます。ありがとうございます。 再拝 合掌
宮城教区白鳩会 連合会長 福田みどり
投稿: 福田みどり | 2011年4月14日 (木) 11:07
合掌 ありがとうございます。
総裁先生ご夫妻の、被災地訪問されたとのお知らせに、ご愛念に感動しました。
失礼ながら、純子先生は、とってもおしとやかとお見受けしていましたが、高速道路を運転され、何でもこなされるのですね!?
凄いです!!
教化部の方々も、とっても喜ばれ、ビックリされたんですね~?
雲の上の人・・・と思っていた総裁先生が、とっても気さくで、身近に感じられて 益々「生長の家」が好きになりました。
総裁先生が発表された「新生日本の実現に邁進する祈り」を、また、大伯母や、信徒の先輩方に 印刷して、皆さんと共に祈ります。
神の祝福満ちたもう。
ありがとうございます。
再拝
神の子・熊川裕美。
投稿: 熊川裕美 | 2011年4月15日 (金) 12:35
合掌ありがとうございます。
まだ余震も続く中、被災地に足を踏み入れられることは
決死の覚悟がなければできないことと思います。
また被災地の方々に配慮されてのお二人だけでの突然のご訪問、
被災地の方々の喜びと感謝の思いが、きっとこれからの復興への大きな力となられることでしょう。
先生方の実行力に感服いたします。
昨日、被災地を訪問なされた天皇・皇后両陛下のご様子が報道されていました。
地震のショックでずっと気落ちしてふさぎこんでいたという21歳の女の子が
皇后様に声をかけていただき、握手していただいたら
なんだか心がフッと明るくなり、力がわいてきたと。
表情も明るくなった、なんとも不思議だとずっと寄り添っていたおばあさまも驚いておられました。
お金や物資も生きるためには必要ですが
愛と祝福の祈りの力こそが人間の魂を元気づける、生きるための本当の力となるのですね。
両陛下のお姿に先生方のお姿を重ねながら礼拝合掌いたしました。
私たちも引き続き、人間と自然とが調和してゆく復興への祈り、続けさせていただきます。
ありがとうございます。
投稿: 菊池光珂 | 2011年4月15日 (金) 12:52
合掌
総裁先生と純子先生の愛深さに感銘しております。宮城教化部には一気に春がおとづれ、活気がみなぎったことと思います。
わたくしも帰国いたしましたので、来週には被災地を訪問し、長期にわたった継続的な支援をいかに行っていくかを検討する視察をさせていただきます。
また、総裁先生のご提示くださいました祈りをコピーして、出講する誌友会にお配りしようと準備いたしました。
心が張り裂けそうに苦しかったのですが、総裁先生、純子先生が積極的な行動でモデルをお示しくださることに触れ、本当にうれしく感謝いたします。再拝
投稿: 松村益子 | 2011年4月15日 (金) 19:52
両先生の突然の現地ご訪問に教区の皆さんの驚きと喜びの様子が良く表現されていまして、感動しました。
東日本の皆様方の復興を祈念致します。
合掌
長崎市江里口征雄拝
投稿: 江里口征雄 | 2011年4月15日 (金) 22:28
沢山のコメントをいただき、ありがとうございます。
皆様とともに、亡くなられた方々のご冥福をお祈りし、被災された方々の一日も早い生活の回復を願うとともに、自然とともに伸びる日本の再建に力を尽くしたいと思います。
投稿: 谷口 純子 | 2011年4月17日 (日) 23:00