被災地訪問2
宿舎を10時頃出発して、今日は仙台市から福島県の相馬市まで、海岸沿いの6号線を南下して、東京に帰りました。
仙台から、東北自動車道に乗れば近いのですが、海岸沿いの被災地の様子を見たかったからです。
昨日は仙台市周辺だけでしたが、仙台市の若林区から、名取市、岩沼市、亘理市、山元町、新地町、相馬市までずっと海岸線を左に見て、車を進めました。
どこまでも途切れることなく津波の跡があり、被害の広大なことを目の当たりにしました。
一か月経っていますが、緊急に必要な道路などは撤去作業 が少しはされているのでしょうが、ほとんどのところは手つかずのままのようでした。
車が流されたまま、広い田畑の中に点々とあり、ビニールハウスは骨組みが曲がりビニールが絡まっている残骸が、見られました。
青森から千葉までの海岸沿いがずっと津波の被害にあっていることを、現実を目の前にして、今更ながら実感しました。
相馬市から南は避難地域に入っているところもあるので、そこから内陸部の113号線を経由して349号線を福島に向かいました。
この道は海辺から、阿武隈川に沿って山の中を行きます。
それまでの景色が、灰色や茶色で、緑はあっても残骸の圧倒的な存在感に押されて消えていたので、この道路に入って、なんだかほっとしました。
被災地の皆さんが、心に安らぎや明るさが欲しいと言われるのが、わかるような気がしました。
目の前に、津波の生々しい爪痕を否が応でも目にしなくてはならない現実があります。
その景色からは、沢山の思いが次々に出てきます。
悲しい思い出もあるでしょうし、もとの姿に戻るまでの長い時間と、労力も思われます。
現実から目を背けるわけではありませんが、現実をしっかり と受け止めながらも、自然の美しさや、人々のやさしい気持ちが、疲れた心を癒してくれるのだと、わかりました。
目に染みる新緑、梅、桜、桃、レンギョウ、辛夷、木蓮、水仙などが咲いていて、鯉のぼりが上がっているところもありました。
屋根にビニールシートがかかっている家も目立ちましたが、それでも当たり前に営まれている日常を、ありがたく思いました。
行きの東北自動車道はスムーズでしたが、帰りは各所で補 修工事があり、一車線規制で、渋滞がありました。 被災地への下りを真っ先に、通れるようにしたのだと思います。
結局東京へは、夕方7時過ぎに帰ってきました。
途中昼食の時間なども入れて、9時間近くかかったことになります。
夫と二人で交代して運転したこともあり、そんなに長く感じませんでした。
駆け足だったので、東北の他の県には行くことができませんでしたが、震災の実態を知ることができ、宮城県教化部を訪れることもできて、意義のある被災地訪問となりました。
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コメント
合掌ありがとうございます。
純子先生、駈足とはいえ、2日間の強行日程で、お疲れになられたことでしょう。
先生ご夫妻の、素晴しい行動力と愛と勇気に感謝いたします。
私は、震災報道ばかり見ていると、体調も心も 落ち込んでしまいました。
やはり、皆、一つ命なんだなぁ・・・・と感じました。
生長の家の家族でありながら、そんなことではいけないと、気付きました。
「光明の念を、愛の念を」積極的に送ってさしあげるのが、私たちの使命なんだ~!!と。
先日の、総裁先生ご夫妻と、教化部の方々の お写真を拝見して、ただただ、合掌感謝の想いでいっぱいです。
日本の実相顕現を、世界平和を一心に祈ります。
再拝
神の子・熊川裕美
投稿: 熊川裕美 | 2011年4月15日 (金) 23:09
合掌 総裁先生、純子先生
ありがとうございます。ありがとうございました。ご多用のさなか、二日間のご慰霊・ご慰問の旅…ただ、ただ感謝させていただきます。ありがとうございます。再合掌
投稿: 石田 盛喜代 | 2011年4月16日 (土) 00:27