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2011年9月21日 (水)

初一念を生きること

P9190001  台風が日本列島を縦断中です。

 渋谷周辺は午後から夜にかけて、激しい風と雨でしたが、今午後9時過ぎには、静かになっています。

 皆様のところに、被害のないことをお祈りしています。

 今朝は、風も雨もそれほど激しくなかったので、徒然草の講義に出かけました。

P9200019  谷口雅春先生著、「日常生活の真理 」(無門関・聖書編)の中の16ページに「初一念を素直に生きること」という小見出しがあります。

 初一念とは第一念のことで、こうしたい、こうあればよいというような、心の底の理想、希望、そのままの心などをさします。

 私も日々、こうしよう、こうすればよいと思っていることでも、忙しさに紛れたり、面倒に思ったり、疲れてしまってすることが億劫に思えたりすることがあります。

P9210023  けれども、なるべくこうありたい、こうしたいと思うことを、怠け心で止めないように心がけています。

 谷口雅春先生は、『第一念は「そのままの心」即ち実相から素直にでて来た心ですが、第二念は迷いであります。(中略)〝初一念〟と云うものは実相から神催しにやって来るのですけれども、それがいろいろの〝我の心〟に依って、光のレンズによって屈折させられるように、吾々の本当の正しい美しい思いを屈折さして、こんなことをしては詰まらないとか、損だとか、面倒くさいとか、人が見たら極りが悪いとか、手が荒れてこまるとか、沢山色々なものが出て来て、〝初一念〟をくずしてしまうと云うことになるのですから、〝初一念〟を素直に出すには心が「無」にならなければならぬ。だからこの「無」の門をパスして、及第しなければ本当の自由自在の境地になれないわけであります』

P9210026  このようにお示しくださっています。

 今日勉強したところは、徒然草の九十二段

   何ぞ、ただ今の一念において、

   ただちにする事の甚だかたき。

 目の前にある、その一瞬間の思いを、直ちに実行することは、どうしてこんなにむつかしいのだろう。その思いこそ、すぐに実行に移すべきなのに――。(清川先生訳)

 ちょっと面倒でも、大変でも、初一念を実行できると、心のわずらい、引っ掛かりが無くなり、晴れ晴れとしたさわやかな気持ちで、過ごすことができると思います。

 改めて今の一念を生きることを、心掛けたいと思いました。

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コメント

合掌有り難うございます。
初一念を生きる、なんと今の自分に一番必要な大切な教えであることか、と思いました。

(少しそれとは違うかもしれませんが‥)お恥ずかしい話ですが私は掃除というものを「気が向いたら」又は「汚れが気になってきたら」するようなところがありまして、一番よく使う流し台周りの掃除など、気になっていてもついつい後回しにするようなところがありました。

ですが先ほど、純子先生のこの御文章を読ませて頂いたあと、「よし、まずはここをきれいにしよう!」と一念発起、かなり念入りにお掃除できました。本当に、ピカピカになったシンクを見て、晴れ晴れとした気持ちで一杯です。今のこの清々しい思いを忘れず、生活のあらゆる場面で直ぐに「初一念」を実行できる自分でいたいと思わせていただきました。有り難うございます。


投稿: 前川 淳子 | 2011年9月22日 (木) 23:04

前川さん

 その通りだと思います。特別なことでなくて、身近なことで、気にかかっていても、いい加減にしてしまうことがあります。それをすることが、初一念を生きることに通じると思います。
 自分の本当にしたいことをすることだと、私は理解しています。
 ですから、肉体人間のしたいことを、自分のしたいことと思ってしていると、本当の意味で、初一念を生きることはできないですね。
 でも難しく考えないで、良いと思うことをすればいいですね。

投稿: 谷口 純子 | 2011年9月23日 (金) 22:23

合掌有り難うございます。

純子先生のお言葉、大変心に染み入りました。
無我の心で、内なる神様からの声なき声に耳を傾けることが大切なんですね。

また、肩の力が抜けてすっと楽になりました。本当に有り難うございます。

投稿: 前川 淳子 | 2011年9月30日 (金) 00:47

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