2012年8月
2012年8月31日 (金)
2012年8月28日 (火)
秋の虫の声
2012年8月26日 (日)
滝川市に行ってきました
空知教区の講習会は、8月の末に開催されることが多く、例年ですとこの時期の空知は、もう夏が終わり秋の気配が濃く、心なしか寂しさを感じます。
ところが今年は真夏の暑さで、昨日の気温は29度、青空に入道雲がもくもくと出ていました。
それでも時折吹く風は気持ちよく、東京でも早くこんな風が吹く季節になってほしいと思いました。
ホテルの近くを散策しましたが、珍しい色のひまわりが咲いていました。
姫リンゴらしきものがたわわになっている木があり、実が沢山落ちていました。
ナナカマドの実もまだ薄緑色でした。
空知地方はこれからそばとジャガイモの収穫の時期だそうです。
冬はマイナス20度にもなるこの地域は、自然も厳しいと思いますが、明るく大らかな雰囲気の方が多いと感じました。
北海道の雄大な自然が、そのような気質を育てるのでしょうか。
講習会の控え室には、吾亦紅(われもこう)、ひまわり、珍し
い黄色の鶏頭などのお花を飾っていただきました。
空知教区の皆さま、大変お世話になりました。
ありがとうございました。
2012年8月22日 (水)
2012年8月21日 (火)
トマトケチャップつくり
トマトの出回る季節に、トマトケチャップを作ってみたいと以前から思っていました。
完熟のトマトが手に入ったので、作りました。
いくつかレシピがありますが、一番簡単な作り方で試してみました。
材料は、トマト500から600グラム、人参一本、タマネギ大一個、セロリ3分の1本、生姜1片、ニンニク一片、トマトは湯
剥きします。
これらを適当な大きさに切り、すべて圧力鍋に入れます。
水などは入れません。蒸気が出てきてから五分で火を止めます、
圧力が抜けたら、バーミックス、ミキサーなどでピュレ状にします。
この時はまだサラサラなので、再び火をつけて調味料(塩大匙1、酢大匙1、はちみつ小さじ1~2)を入れ黒コショウ、オールスパイス、シナモン、クミンなどを入れ、とろりとなるまで煮詰めます。
これで出来上がりです。
大して手間はかかりませんが、市販のものにはない優しく複雑な味わいのケチャップができました。
量が違うので、用途に合わせて使いやすいと思ったからです。
お弁当は、イカバーグ、ホッケオイル焼き、スパニッシュオムレツ、大根のべっこう煮などです。
2012年8月19日 (日)
盂蘭盆供養大祭
8月17日から19日まで、生長の家宇治別格本山で、第57回宝蔵神社盂蘭盆供養大祭が開催されました。
私たちは18日夕刻からの、自然災害物故者追悼慰霊祭、19日午前の本祭、精霊招魂神社大祭、午後の全国流産児無縁霊供養塔供養大祭、末一稲荷神社大祭に参加しました。
18日は午後2時ころから関西地方は雷雨となり、屋外での御祭りの予定でしたが開始時間を30分遅らせて、屋内での慰霊祭となりました。
19日は、前日の雨に洗われた空が澄み渡り、輝くような晴天でしたが、吹く風には秋の気配が感じられました。
参加者の皆さん礼服で、御霊の安らぎと加護を祈り、心を込めて聖経を読誦し、焼香をしていただきました。
厳しい暑さの中ではありましたが、心身ともに清まり爽やかさを感じられたのではないかと思います。
多くの方々のご参加を得、また沢山の奉仕の皆さまの御協力で、滞りなくすべての御祭りが執り行われました。
皆様に心から感謝いたします。
18日は朝早い出発だったので、前夜に作ったサンドイッチをいただきました。
2012年8月17日 (金)
2012年8月14日 (火)
サヨばあちゃんの無人駅
一週間くらい前のこと。
遅い昼食をNHKのBS放送をつけて一人で食べていたら、ドキュメンタリーの秀作を放送する特別番組が始まりました。
何本か続けて放送されるようでしたが、その一番目は「サヨばあちゃんの無人駅」というのでした。
過疎化の村のお年寄りの暮らしが始まるのかと何気なく見ていましたが、すぐに画面に引き込まれてしまいました。
舞台は静岡県の川根茶の生産でかつてはにぎわいましたが、今ではお茶の生産の減少で過疎化が進み、限界集落になっている、抜里(ぬくり)という集落です。
大井川鉄道の抜里駅は無人駅で、その駅舎を利用して女性たちが4日に一回お惣菜を作っています。
コンビニもスーパーもレストランもなく、食料品から日用品まで何でも置いている雑貨屋さんが一軒あるだけの地区です。
そこは200世帯の中、一割の20世帯がお年寄りの一人暮らしで、足が不自由だったり車がなければ、買い物もままなりません。
4日に一度作られるお惣菜は200円、お寿司などは250円で格安です。
「麦の会」といって、もう15年も続いています。
集落のお年寄りがそれぞれ得意な煮物やあえ物、揚げ物などを作りますが、自給は100円です。
その中心者がサヨばあちゃん。
サヨさんは現在75歳だそうですが10歳くらい若く見え、ばあちゃんというのは失礼だと思うほどです。
駅に買いに来る人もいますが、駅まで買いに来られない人のために、サヨさんはお惣菜を持って車で一人暮らしの人の家を回ります。
「〇〇ちゃん・・・」と小学生が友達の家に遊びに来た時のように声をかけて、「おかず屋です。こんにちわ、元気!」
とても明るくて屈託なく、一人一人を活気づけます。
中には一度も顔を合わせた事のない人もいますが、訪ねると手紙やお金が置いてあり、惣菜が受け入れられていることが分かります。
過疎化の集落の一人暮らしでも、こんな人と人とのつながりがあれば、なんと心強いことかと思いました。
サヨさんの生き方は、人が生きるとはどういうことなのかを分かりやすく、直接示していて、感動します。
サヨさん自身は、60歳で夫を亡くし、その後本人も生死にかかわる大病を患いました。
病気が治って、長年心で温めていた「麦の会」を始めました。
このドキュメンタリーは、SBS静岡放送の制作で、数年かけて抜里での様子を追っています。
インタビューに答えてサヨさんは「私愚痴はほとんど言わないね。今生きているだけで本当に幸せだと思うから」
子供の頃一家で満州に開拓団として移住しました。
終戦時は、過酷な脱出行を経験します。
今日食べ物がなければ死ぬという経験を何度もし、毎日10人、20人と人が死んでいくのを見てきました。
それらの経験が、現在のサヨさんの活動につながっているのだと思いました。
サヨさん自身も一人暮らしで、大学教授とコンピューター・エンジニアの二人の息子は、それぞれ四国と首都圏で家庭を持っています。
息子家族のたまの帰省には目を細めますが、息子たちを見送る姿には、あまり寂しさはありませんでした。
生き生きと暮らし、自分を必要としている人々との確かな日常があるからでしょう。
このドキュメンタリーは、第7回日本放送文化大賞を受賞し、2009年度文部科学大臣賞も受賞しています。
「サヨばあちゃん」が、とても強く私の心をとらえていたので、パノラマ市場に行ったとき、パノ市カフェのあばあちゃんの姿に親しみを感じました。
2012年8月12日 (日)
パノ市カフェ
原稿があって、ブログお休みしてました。
お盆で、各地の高速道路や列車は混雑しているようです。
私たちは、大泉に来ています。
ここは、帰省客ではなく、夏休みの旅行や山荘滞在者で、一年で一番活気のある季節を迎えているのではないかと思います。
大泉の駅前に、パノラマ市場というマーケットがあります。
近隣の農家の人たちが、その日に収穫された野菜を持ち込んで売っているところです。
全て生産者の名前入りで、農薬や肥料の表示もあるので、私は無農薬、無化学肥料の表示のあるものだけを選んで、いつも買っています。
野菜のほかに、おばあちゃん手作りのお惣菜、パン、ケーキ、クッキー、ジャム、漬物、ハーブ、手作りガラス、小物など、これらも名前入りです。
また地元産のタマゴ、牛乳、ヨーグルト、生蕎麦、味噌、花の苗、野菜の苗、切り花等、まだあったかもしれませんが、それらが並んでいます。
ミニ胡蝶蘭も目玉商品です。
1株のものが600円、2か3株のは1200円で、今までいくつか買いました。
一か月以上咲いていて、夏の花の持たない季節には重宝しています。
このパノラマ市場も、いつになく混雑していて、また並んでいる品数も、普段よりたくさんあり活気づいていました。
この市場にパノ市カフェというのが、週末に開店します。
私たちは週末に大泉に来ることがなかったので、カフェの日に来たことはありませんでした。
今は夏休みなので、7月末から8月半ばまで、パノ市カフェは毎日オープンしていました。
お昼前に買い物に行ったのですが、野菜や花などを選んでいるうちに、カフェの開店の時間になりました。
お昼の2時間くらいオープンしているだけです。
夫が「ここでお昼食べない?」と言いました。
最初は「ええっ!」と思いましたが、これから他にも用事があり、この時期どこのレストランも混雑していて、待つことは必至です。
「試してみましょうか」ということで、カフェの「農家の日替わり定食」というのを注文しました。
市場の奥に衝立があって、窓に向かって横並びの席が四席と、テーブルが二つの狭い所です。
横並びの席にはすでに、私たちとあまり年齢の変わらない夫婦が座っていました。
リュックを背負った外国人の夫と日本人の妻というカップルでした。
定食のほかに農家カレーがあり、ひき肉のドライカレーでした。
700円でおかず4品、味噌汁、サラダバー、デザートが付きます。
窓の外はトウモロコシ畑が見え、その横にはパノラマの湯の建物が見えます。
道路の向かいはパノラマの湯という大泉温泉なのです。
窓からは気持ちのよい風が入って来て、野菜たっぷりのお昼はおいしかったです。
ここは近隣の女性が、普段は金、土、日の三日間5人くらいが調理場に入って、交代でお料理を担当するそうです。
全員で何人いるのかは聞きませんでした。
その日の献立は、担当の人の得意なものを作るので、特に決まっていないとのことです。
市場で野菜はたっぷりあるので、野菜中心の献立になるそうです。
女性の得意な分野を生かした、田舎ならではの取り組みだと思い、応援したい気持ちになりました。
お弁当は、2日前のサクラエビのチャーハンです。
2012年8月 8日 (水)
秋が来ました
実際には一番暑い時期なのですが、東京は昨日の夜から涼しくなって、夜タオルケットを出したほどです。
夜はいつも窓を開けて寝ていても、汗をかくのですが、ゆうべは外から涼しい風が入ってきて、朝方は窓を閉めました。
こんな日がたまにあると、一息入れられてほっとします。
もっともこの涼しさは、東京から北の方だけで、西日本は相変わらず30度を超える暑さだったようです。
涼しくても、蝉は賑やかで、特に昨日あたりから激しく鳴いています。
セミの抜け殻をいくつか見ましたが、私が原稿などを書いているサンルームのそばの梅の木に止まると、耳を覆いたくなるほどです。
近いので耳をつんざくような音で、静かにしてと声に出したいほどでした。
特にミンミンゼミの「ミーンミンミン」という鳴き声が強烈です。
夏の午後には蝉たちの声がまるで雨のように降り注ぐことから、「蝉時雨」というそうですが、本当にそうだと思いました。
お弁当は、炊き込みご飯と豆腐バーグなどです。
2012年8月 5日 (日)
北海道で新たに知ったこと2
三日目は富良野に移動しましたが、途中白老のアイヌ民族博物館に行きました。
白老は太平洋岸の室蘭と苫小牧のちょうど中間くらいにあります。
私はかつてスチュワーデスをしていた時、白老に来たことがあります。
札幌便の場合、苫小牧のホテルが宿舎になっていて、苫小牧から白老は比較的近いので、同僚数人で行きました。
その時の記憶はおぼろげで、アイヌの女性の踊りとチセという建物に入って、民族衣装や生活用品を見た記憶があります。
それ以外はあまり覚えていません。
今回は夫の強い希望でした。
白老の民族博物館はとても広い土地にあって、何軒ものアイヌの住居があり、大きな湖も敷地内にあります。 駐車場も大型バスが十数台とまれる広さでした。
私の記憶にある所とは違いました。
まず博物館に入りました。
展示室の前には長椅子があり、白人の40代くらいの女性が腰かけて年配の男性と話していました。
アイヌ文化について話しているようでした。
女性は研究者のように見えました。
順路に沿って最初の展示を見ているところに、70代前後と思われる男性が来て、「分からないことがあったら何でも聞いてください」と言ってくれました。
アイヌ民族の自然観、神観などが絵に描いて表されているところです。
私たちは、「アイヌの人々は死んだらどうなるのですか」「江戸時代のアイヌの人々の数はこんなに少なかったのですか」などと質問しました。
その人は詳しく丁寧に私たちの疑問に答えてくれました。
男性の答えにまた私たちが質問するので、話はずっと続きます。
「それについてはあちらの展示に行きましょう」などと言うことになり、そのボランティアの案内の人は、私たちの専属の案内人のようになって、約1時間余り色々教えてくださいました。
思いがけないボランティアの人の説明のおかげで、随分い
ろいろのことを知りました。
その人はアイヌの人かと思っていましたが、最後に「私も関西から来て、ボランティアをしています」と教えてくれました。
どういう理由で関西から北海道の白老に来て、アイヌ民族博物館のボランティアをしているのか興味を持ちましたが、そこまで立ち入るのは控えました。
博物館の入り口には、アイヌ民族に関する様々な書籍が100冊以上、あるいはもっとあったかもしれません。
夫は時間をかけて選び、二冊を買いました。
アイヌの人々は北海道全域に小さな集団で狩猟採集を主として、バラバラに暮らしていたそうです。
狩猟採集で必要以上にものをとらないのが、アイヌの人々の暮らしでした。
けれども江戸時代松前藩が入って来て、海での漁業を教えます。
それから大量に魚を捕獲するようになり、富の偏在が生まれます。
また北海道を自分の領土にしようと、ロシアや中国が狙っていました。そこで明治政府は、北海道を日本の領土であることを示すため、北海道全域にお寺を建立し、アイヌの民族信仰行事であるイヨマンテなどを禁じます。
植民地支配のような形ですね。
沢山聞いた話の中で、特に印象深く覚えています。
帰ってきてから三日間のお弁当、焼き魚、鮭そぼろや海苔巻です。
2012年8月 2日 (木)
北海道で新たに知ったこと
涼しい北海道から東京に帰ってくると、暑さが殊の外厳しく感じられます。
今回の旅行はすべて子供に任せたので、特に予定はなく、ホテルだけが決まっていました。
洞爺湖では二泊したので、二日目は丸一日フリーでした。
地図を広げて、どこかよさそうなところはないかと探しました。
ここは10年以上前に家族旅行で訪れたことがありました。
夫が有島記念館というのを見つけました。
「この有島は有島武郎のことかな?」というので、調べてみると、有島武郎に関係する記念館であることがわかりました。
有島武郎が北海道の人がどうかわかりませんでしたが、行ってみようということになりました。
広い畑が広がり、農家がポツンポツンとある田園地帯を1時間近く走って、ニセコ駅からほど近い有島記念館に着きました。
ちょうど15分間の紹介ビデオが始まるところで、まずは予備知識を得ました。
記念館のある場所は、かつて開拓農場として、数家族の開拓者が入植していた有島農場のあったところです。
館内を丁寧に見て回り、沢山のことを新たに知りました。
有島武郎が学習院で大正天皇の学友に選ばれたこと。札幌農学校(現北海道大学)で学び、新島譲や新渡戸稲造から影響を受け、アメリカに留学したこと、その後ヨーロッパにも行き、当時の日本人としては珍しい国際感覚を持っていたこと。
クリスチャンになったが、日露戦争を機に、欧米がキリスト教の国であるにもかかわらず、キリストの教えが社会生活に生かされていないことに失望し、キリスト教を放棄したこと。
地位も名声もあった父親が、武郎の将来を考えて、北海道に広い土地を求め、地主となったこと。
武郎の弟、有島生馬は画家、作家の里見惇も弟とは知りませんでした。
有島記念館は現在ニセコ市が運営しています。
記念館出版の、ニセコを舞台にした「カインの末裔」「親子」「秋」の3作品が収録されている本を買って、読みました。
「カインの末裔」は、私にとって読みづらい本でした。
「わが国近代文学史上 本格的なリアリズムの虚構を達成した有島武郎の代表作」と、本の帯に書かれていました。
いずれにしても、興味深い有島記念館でした。




















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