国際教修会講話
7月16日17日に行われた、生長の家国際教修会で、私が話した内容を、数回に分けて掲載させていただきます。
なぜ、森の中なのかという話です。
古くて新しい出発
1、
皆様ありがとうございます。
本日は、世界各地から生長の家の幹部の皆さまがお集まりくださいまして、教修会が開催されますこと、大変素晴らしく、感謝申し上げます。
七月七日には、生長の家の〝森の中のオフィス〟の落慶式が盛大に行われ、いよいよ私たちは〝新しい文明〟の構築に向けて、確実に新たな一歩を歩むことになります。その時期に、この教修会で「宗教における都市と自然について」学べる機会を持てましたことは、大変意義のある素晴らしいことと思います。
そこで私も改めて、東京・原宿から、八ヶ岳南麓に移転することの意味について、考えたことをお話しさせていただきます。
すでに『〝森の中〟に行く』という本に書いたように、そもそも私は〝森〟のような場所に移住することには反対しておりました。都会の便利な生活を捨てて、不便な田舎に、ましてや都市ではなく〝森〟に行くことは、人類の進歩に逆行することになるし、生長の家の運動にとっても不利であると思ったからです。このような考え方は、多くの方が持ち、疑問に思われたことではないかと思います。
生長の家は昭和五年に谷口雅春先生によって始められましたが、そもそも当時の雅春先生は神戸という町に住み、サラリーマン生活をしておられました。そんなご多忙な生活の中で、神戸で都市生活者の立場で始められた運動でしたから、生長の家は「都市で始まった宗教」と言えると思います。立教時に、山の中に施設を建てて始められたわけではありません。そして初期のころは人々の要望に応えて、先生の講習会は人口の多い都市を選んで行われ、そこに人が集まり先生の講話に感動した人々によって、教えの輪が広がっていきました。やがて、「誌友会」という信徒の勉強の場が各地に設けられ、それが現代も続いております。そのような歴史を見ますと、人が沢山いる都市こそが、伝道にとって有効な場所であると思われます。
そんな中で、いかに温暖化の問題が深刻化していて、二酸化炭素の排出を減らさなくてはならないと言っても、人の少ない〝森の中〟へ行ってしまったら、教えを伝える対象が少なくなりますから、宗教としての本来の目的を達成することはできないのではないかという疑問が出てきます。生長の家が宗教団体として炭素の排出を減らし、地球環境保全に大きな役割を果たしたとしても、肝腎の教えが広まらず、信徒の数が減ってしまったら、本末転倒にもなりかねないということです。
このようなことを考えると、森の中にオフィスを移転することに疑問がわき、はたして良いことなのだろうか、自然の中に宗教が行くことは本当によいことなのだろうかという疑問が解けない方もまだおられるかもしれません。
私たちは、現代の運動のあり方を考えるにあたって、過去の運動から指針を得ることは、もちろん必要です。しかし、宗教運動は時代の要請に応えなければなりませんから、現代という時代がどんな時代であるかを冷静な目で見つめ、必要ならば、古い基準に縛られずに、新しい考え方や生き方を自ら開発し、それを人々に提案していかねばならないと思います。
私はこの講話で、現代に生まれ、現代に生きる「生長の家」の運動が今、なぜ都会を離れ、〝森の中〟へ行かなければならないのか。生長の家の国際本部が、なぜ都会にあってはならず、自然の中へ移転しなければならないかという理由を五つ挙げ、皆さんのこれからの運動や生活の参考に提供したいと思うのです。
その理由とは、次の五つです――
① 都会では自然がわからない
② 都会では人間中心主義から脱け出すのがむずかしい
③ 都会では、浪費と消費過多をやめられない。よって地球環境問題は解決しない。
④ 都会での生活は宗教の目的と矛盾する
⑤ 都会では新しい生き方は生まれない
2へつづく
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コメント
純子先生
合掌 有難うございます。
とても解りやすくお話下さいまして有難うございます。
楽しみに 恵味な日々 を 開けさせていただきます。
再拝
投稿: 山本 順子 | 2013年8月27日 (火) 20:59