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2016年6月20日 (月)

「愛国と信仰の構造」を読んで③

Img_7230_2 前回までは、本が書かれた背景を説明しましたが、本論に入っていこうと思います。
 なぜこのような難しい問題について、私が説明を試みるかというと、日本の近代については学校でも習わないので、私自身がほとんど知らず、知らないで過去を冷静に見ることは難しいと思うからです。
 自分でもわかるように、本の内容を整理する形で説明します。
 ですから書くことは、この本からの知識です。
 明治維新はどのような経緯で起こったかです。
 テレビドラマや映画、ノンフィクション、小説などでしきりに取り上げられてきたテーマですが、専門に勉強しない限り、思想的背景や複雑な流れはよく分かりません。
 江戸末期には、300年続いた江戸幕府の幕藩体制に対する不満と、鎖国をしていた日本に対し、各国から開国をせまる働きかけがありました。
 特に、ペリーが神奈川県浦賀沖に黒船でやって来たのは衝撃的でした。
 幕藩体制に批判的だった吉田松陰を中心とするグループによって、江戸幕府は解体されました。
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 「一君万民」という思想が、背景にありました。
 「一君」とは天皇で、「万民」はすべての国民で、超越的な天皇のもと、すべての国民は平等という思想です。
 「一君万民」という思想が、どうして江戸幕府を倒すほどの大きな力になったかというと、これが国体だと定義した時に、江戸幕府の正当性が奪われてしまったからだとのことです。
 「万民」は平等であって、天皇だけが超越的な権力を持つのが、日本の国体であるから、江戸幕府には正当性がなく、王政を復古させ、本来的な日本の国体を取り戻すというのが、維新の志士たちのめざすところでした。
 これを中島さんは、『一君万民ナショナリズム』と言い換えてもいいのかもしれませんと、言っています。
 普通一般には、ナショナリズムというと、偏狭な国家主義、国粋主義というように、理解されています。
 「ナショナリズム」を広辞苑でひくと、以下のように書かれています。
 「民族国家の統一・独立・発展を推し進めることを強調する思想または運動。民族主義・国家主義・国民主義・国粋主義などと訳され、種々ニュアンスが異なる。」
 島薗さんが、『その場合の「ナショナリズム」は、「国家主義」というよりも「国民主義」のニュアンスに近いわけですね』と、確認しています。
 中島さんは『そうです』。
 国民国家というのは、「国民は平等であり、国家の主権者である」という考えをベースにした国家形態です。
 ナショナリズムというのは、政治学では左派的な出自を持った思想で、初期ナショナリズムの大きな政治的うねりとして、フランス革命を上げています。
 フランス革命は、絶対王政を倒し、民主的な国民国家を作り上げました。
 国民が主権者となったのです。
 明治維新は、元々あった君主制を否定するのではなく、封建的身分制度を打ち破り、「四民平等」を確立し、本来の君主制へ回帰することでした。
 君主の扱いが、フランスとは全く違いますが、日本の場合、復古すなわち昔にもどすことが、革新のようなニュアンスがあると書かれていますが、その通りだと思いました。
 これを、中島さんは「下からのナショナリズム」と、表現しています。
 それに対して「上からのナショナリズム」がありました。
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 維新後、明治政府により、天皇崇敬や皇室祭祀、神社の優遇など、天皇を求心力として国家を強くしていく諸方策がとられました。
 数十年かけ、戦前のナショナリズムを支えた国家神道の体制が積み上げられ、完成したころには、日本はファシズム期に突入していきました。
 維新の初期は、「国家は国民のもの」から、やがて「国民は国家のもの」に、変わっていきました。
 「国民の天皇」なのか「国家の天皇」なのか。
 「国民の天皇」なのか「天皇の国民」なのか。
 この言葉はよく読んで考えなければ、違いがわかりにくいです。
 明治維新の思想を支えたのは、「国学」や儒教を背景とした日本的な儒教思想「水戸学」などですが、それを詳しく知りたい場合は、本をお読みください。
 「下からのナショナリズム」は、封建制度を打破し、四民平等を果たし、天皇と人民が神意に従って一体化しているような世界が理想であり、そのようなユートピア的な世界は古代日本において成立していたとします。 ところが現実の明治政府は、天皇が中心になっただけで、幕藩政治のようなものを続けていました。
 そこから、天皇主義者たちによる「自由民権運動」が生まれてきます。
 ここから、日本の右翼団体の元流、玄洋社が生まれますが、主張には、「天皇の大権」と「国民の主権」の一致がありました。
 天皇と国民が神意に従って一体化するという思想は、宗教と結びついていきます。

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コメント

とても興味深く読ませていただきました。『「国家は国民のもの」から、やがて「国民は国家のもの」に、変わっていきました。「国民の天皇」なのか「国家の天皇」なのか。「国民の天皇」なのか「天皇の国民」なのか。』この表現で思い出すのが、『君民同治の神示』の中に「かく天皇の神聖性は人民自身の神聖性より反映するのである。されば民が主であり君は客である。(中略)民が自身の絶対性の把握が破れるとき、その反映として国の絶対性と天皇の絶対性とは破れるのである。」というところです。早速、この神示を読み直すとともに、ここで紹介された本を注文して読んでみます。ありがとうございました。

投稿: Mario Kawakami | 2016年6月24日 (金) 00:24

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