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2016年8月

2016年8月28日 (日)

滝川市に行ってきました

Img_7486  空知教区の講習会で、北海道の滝川市に行ってきました。
 一週間前には台風9号による深川の被害の報道があり、数日前には大雨の予報もあったので、天候を心配しましたが、昨日の土曜日と今日の日曜日は、大変素晴らしい天気になりました。
 澄みきった空に爽やかな風が吹き、8月末の北海道に相応しい気持のよい日でした。
 北海道の空や大地の雄大さは、本州では味わえないものです。
 札幌以外の北海道各地は、人口減少と産業の衰退が大きImg_7479_2


な悩みですが、自然資本の豊かさは、莫大な資産です。



 人々の価値観が変わり、この自然環境の価値を人々が認めるようになればよいと、北海道に来るといつも思います。
 厳しくも豊かで雄大な自然の中で生きてきた人々は、力強く、自然体で謙虚であると思いました。
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 講習会の控室には、ヒマワリ、紫陽花、ワレモコウなど季節に相応しい夏と秋の花を飾っていただきました。
 ピンクッションやブローチなどの手作り品も、愛らしい品々でした。
 空知教区の皆さま、お世話になりました。
 ありがとうございました。

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2016年8月18日 (木)

国際教修会3

 生長の家は、「人類光明化運動」を1930年から行ってきました。その間に日本は、第二次世界大戦、敗戦を経験しました。終戦後の世界は、アメリカとソ連という左右の超大国が対立する冷戦の時代であり、生長の家はアメリカ側に立ち、自由主義の世界を支持しました。日本においては、共産主義勢力から日本を護るために、日本民族の意識の啓蒙に大いに努めました。
 雅春先生が亡くなられたのが、1985年です。戦争の時代を生きられ、その時代に必要なことを生涯かけて貫かれました。先生の死の4年後に、ベルリンの壁が崩壊し、ソ連も崩壊しました。核兵器による恐怖のバランスの中で、一触即発の状態だった時代は終わり、世界に平和が訪れると、多くの人が期待しました。けれども世界は冷戦によって抑圧されていた民族主義が台頭し、世界各地で紛争がおこりました。更に冷戦時代の過当な競争の結果として、地球環境の悪化が大きな問題と意識されるようになりました。科学技術の進歩は国際化を促進し、インターネットの普及により情報が地球を行き交うようになりました。
 そんな地球社会の変化をうけて、生長の家の運動は新たな方向に進むことになりました。
 1993年、谷口雅春先生生誕100年の年に、生長の家の運動は、時代に即応した運動に向かうために、「人類光明化運動」から、「国際平和信仰運動」となりました。この2つの運動は、目的と精神において、何ら変わるものではありませんが、もし違いがあるとすれば、3点だと示されています。
 
 1、生長の家が現代において目指すものは「世界平和」であることを明確にしたこと
 その理由として、人類光明化運動の「光明化」という言葉は一種文学的な表現で、「美しい」けれど、具体的にどういう状態かというとはっきりしない。しかし、「国際平和」という言葉は、明らかに国と国の間に紛争や戦争がない状態、さらにはお互いが協力し共存して繁栄する状態を意味することもあり、運動の目的が「国家間の平和」であることが明確になったと説明されてあります。
 
 2、その「世界平和」とは、政治力、あるいは核の抑止力によってもたらされる平和ではなく、唯一絶対の神への「信仰」によってもたらされる平和であることを明示したこと
 
 普通「平和運動」というと政治運動の一種であって、昔から行われている〝力のバランス〟による国際政治に反対して勧められたものがある。また、「平和維持」に力点を置くと、最近は核兵器ができたので〝核の抑止力〟を重視した政策もある。我々が担当するのは、政治や経済ではなく、私たちは「唯一絶対の神への信仰」を担当するのです。「被造物の中に敵と味方をつくって、敵をやっつける」というような中途半端な神様を私たちは信仰していない。このような神への信仰によって聖戦が行われます。私たちはお互いを神の子として認め合う信仰のもとに平和を実現するのが目的です。それが国際平和信仰運動の考え方です。
 
 3、「国際運動」として、各国の運動を統一的、組織的に立案し実行していくための各種の方策が講じられていること
 
 簡単に言うと、そういう目的の運動を各国がバラバラに行うのではなく、世界の色々な人の知恵を借りながら協力し、組織的に行っていく枠組みが示されている。具体的には、運動方針徹底の場には、海外からも多くの代表が来られているので、意見交換や意識統一が行われるというわけです。「人類光明化運動」として出発した当初は、どのように平和を実現していくかははっきりしていなかったし、当時は戦争の時代でした。その時代よりは少しは具体的に、方法論その他種々の仕組みが出来上がりつつあるのが今の段階だということです。
 
 
 そのようにして、国際平和信仰運動が1993年に始まり今年で23年になります。その間、様々なことがありましたが、国際運動として、今日のような国際教修会が2003年から始まりました。そして、人類が直面する喫緊の課題である、地球環境問題を解決するために、2000年には生長の家の環境方針が発表されました。
 2013年には、東京原宿から、ここ山梨県の北杜市の〝森の中のオフィス〟に移転して、さらなる進展を期して、運動を進めています。オフィスが移転して新たに始められたことは、皆さんよく御存じであると思いますが、国際運動としては毎月一回、各国の指導者がテレビ会議を行い情報交換をし、重要な問題を話し合うことをしています。
 〝自然と共に伸びる運動〟を私たちは今行っていますが、地球と世界の現状を見て、何をすればいいのかを真摯に問い、私たちは運動を進めています。
 今の世界は、物質主義、経済優先、効率優先で、物質的に豊かになった半面、世界は格差が生まれ、人と人とのつながりは希薄になり、社会は分断しています。物質偏重の偏った文明をバランスよくさせるためには、全ては一体であることを生活のあらゆる面で表現していかなくてはなりません。
 「大自然讃歌」の3ページから9ページ一行目までを読ませていただきます。
 
  神は唯一の存在なれど
  かくの如く多種、多様、無限豊穣を生み出し給う。
  地球の自然は個にして全、全にして個の姿を如実に現し吾らに神の無限相を顕示せり。
  森は一つ生命(いのち)の塊と見ゆれども、近寄りて見れば無数の生物種棲む多様なる生命共存の場、相互向上の舞台なり。
  生物種互いに与え合い、支え合い、共に競いつつ厳しい中にも動きと変化に富む美しき調和到るところに充満せり。
  個々の生物神の無限を表現する如く周囲へ広がり、高みを目指し、深みを極めんとし、大距離を移動し、形態を変化(へんげ)し他種を模倣しつつ独自性を現したり。
  これら生態系はすべての生命の共栄圏にして、個性保ちつつ無数に集まり地球の表面を覆い尽くせり。
  これまさに有限の中に無限現れ無限の中に有限同居する姿なり。
  神のアイデアと創造はかくの如く汲めども尽きず、数うれば限りなし。
 
 このような大調和した生命が生き生きと活動する世界に生きていることを、常に忘れず、全てのものの恩恵に感謝して、生活していきたいと思います。
 唯一絶対の神への信仰が強力なコトバの力となり、またコトバの力の表現として新しい文明の構築につながる生活の実践を以下のようにまとめました。
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1、 唯一絶対の神への信仰を深めるために三正行を実践する
2、 日時計主義で生活する
3、 『全ては神において一体』を生活に表現するために、むすびの働きを意識して生活する
4、 自他一体の愛の実践として、肉食を控える
5、 地産地消、家庭菜園、手作りなどを実践する。
6、 地球温暖化を促進しない生活を心がける。
 
 このような生活をしつつ、一人でも多くの人に生長の家を伝えていくことにより、平和な世界の実現に、皆さまとともに歩んで参りたいと思います。
 これで、私の話を終わらせていただきます。
 ご清聴ありがとうございました。

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2016年8月17日 (水)

国際教修会2

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 また『宗教はなぜ都会を離れるか?』の中に、2012年の生長の家代表者会議で総裁がコトバの力について話されたことが掲載されています。この代表者会議では、『生命の実相』や『聖経』が自由に発行できないことについて、参加者に説明されました。次のように書かれています。「カタカナで書かれたコトバは心の中の波動みたいなものです。そのコトバから、身、口、意の表現が行われ、その結果として書物ができる。「生命の実相」や「聖経」が自由に発行できないことを大きな問題と思っているかもしれませんが、宗教上の教えで一番重要なのは何かと言えば、その書物のもとになったところの「コトバ」である。コトバさえしっかり把握していれば、結果としての「書物」は、身・口・意の表現を通していずれ出てくるので、それほど心配することはなく、大切なのは我々の信仰心、神への思い、確信、悟りなどコトバを明らかに把握することである」といわれました。
 谷口雅春先生の『新版 真理四巻青年編』から「コトバ」について、次のように、引用されています。
 
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 「これは宇宙に満つる霊(たましい)の振動であり、生命の活動であります。(中略)「想念の波」を起すと云うことであります。(中略)宇宙に満つる大生命の波動が想念即ちコトバであって、それがやがて形の世界にあらわれて来るのであります。だから事物の本質とは何であるかと云うと、此のコトバでありまして、形ではないのであります。」
  
 『生命の実相』頭注版第33巻、53ページには、谷口雅春先生はこのように説かれています。
 
   悟りという生々流動のいのちというもの、こいつは捉えることも形式化することもできないのですけれども、仮に、形式を駆使してそこに表現されるのであります。悟りは形に表現された時、すでに形にはまってくる第一歩があるのです。だからその表現形式が宗教だと思うとまちがいが起こるのです。形というものを通して表現されて生命がわかるというようになるので、悟りそのものは表現形式の奥の奥に形を超えてあるのであります。ですから生命を表現するには常に形をこしらえなければならず、また同時に常に形を破ってゆかなければならないのであります。生長の家それ自身の中にもやはりそれがあります。前にはこう説明してあるかと思うと、次には全然別のような説明の仕方がしてある。説明の仕方は形ですから、不断に変化しなければならないのです。みずから変化しない宗教は形骸化して他の宗教にとって代わられるのであります。昔からの宗教にも、新興宗教の出現や、宗教改革というものの中に、それがあるのであります。みずから宗教改革しながら進んで行く宗教であってこそ永遠に生きることができるのです。いっぺんこの形と定めて表現しても始終その形で固定してくると、またその次にその形を破らなければどうしても説明に堕し、形式に堕して生命を伝えることができないのであります。
   
  
 そして総裁は『信仰による平和の道』でこのように結ばれています。
 「宗教というものはそれぞれの発祥の地における地域的、文化的、時代的な特殊の要請にしたがって登場し、成立するものであるが、それが真理を説き、時代の変遷にもかかわらず発展していくべきものならば、それは成立当初のローカル色や特殊性から脱却し、普遍的な真理を前面に打ち出すとともに、伝播地においては、逆にその土地のローカル色や特殊性を吸収し、応用するだけの〝幅〟や〝柔軟性〟をもたねばならないことが分かるだろう。」
 生長の家は1930年に、谷口雅春先生と輝子先生、お二人で始められました。当初から教化団体生長の家として出発し、宗教を作るとか、宗教を始めるというようなお考えはありませんでした。人類の心を光明化しようという目的で始められました。ですから、教化団体生長の家という名前で、人類光明化運動が始まりました。
 生長の家が始まったころの日本や世界は、どういう状況だったかということも『信仰による平和の道』の291ページから書かれています。
 1927年(昭和2年)に、日本は中国に派兵しています。1928年には関東軍による満州の武力占領がおこなわれていきました。
 1929年、立教の前年ですが、ニューヨークのウオール街で起きた株価暴落がきっかけとなって、「世界大恐慌」に突入していきました。谷口雅春先生はそんな時代に「生長の家」誌を出版しようと決意されました。日本は「昭和恐慌」といわれる経済的大混乱に陥っていて、国内経済は3割くらい縮小し、世の中には失業者があふれ、中国大陸では戦争が始まっていました。今想像するだけでも、大変な時代です。
 「生長の家」創刊号の「巻頭の言葉」には、このように書かれています。
 
 蛇に睨まれた蛙は恐怖のために動けなくなって蛇にのまれる。
 国が国を恐れるとき莫大な軍費を要する。
 就職試験に臨んで恐怖心を起こす青年はその就職に失敗する。
 入学試験に臨んで恐怖する学生はその入学に失敗する。
 恐怖が自己の境遇を支配すること斯くの如く甚だしい。
 更にそれが自己の病気や健康に影響するに至っては云うまでもないのである。
 此の恐るべき恐怖心を人生より駆逐するべき道を示さんとするのが「生長の家」の念願の一つである。
 『信仰による平和の道』294ページ
 その次に「『生長の家』出現の精神とその事業」という御文章です。
 
 自分のかざす火は人類の福音の火、生長の火である。自分は此の火によって人類が如何にせば幸福になり得るかを示そうとするのだ。如何にせば境遇の桎梏から脱け出し得るか、如何にせば運命を支配し得るか、如何にせば一切の病気を征服し得るか、また、如何にせば貧困の真因を絶滅し得るか、如何にせば家庭苦の悩みより脱し得るか・・・・・・等々。
 今人類の悩みは多い。人類は阿鼻地獄のように苦しみもがきあせっている。あらゆる苦難を癒やす救いと薬を求めている。しかし彼らは悩みに目がくらんでいはしないか。方向を過っていはしないか。探しても見出されない方向に救いを求めていはしないか。自分は今彼らの行手を照す火を有って立つ。
        (同、295ページ)
 
 このような暗い時代に、人々の悩みを解決するために、自分は此の事業を立ち上げたのだと宣言されました。
 そして、日時計主義の生活を提唱され、言語の再現力、言葉の創造力の応用を勧められました。
 生長の家は、宗教ではなく教化団体だったのですが、1939年(昭和14年)、日本に宗教団体法という法律が制定されて、文部省の見解によると、生長の家は「教化団体」というよりは「宗教団体」であるということになりました。
 その辺のいきさつについて、総本山落慶記念に出された「神の真義とその理解」(日本教分社刊)に書かれてありますが、『信仰による平和の道』の158ページに引用されています。
 
 ところが生長の家は、教義と云っても生長の家独特の教義がないのであります。ないと言うとおかしいけれども、生長の家は仏教の話もする、お釈迦様は斯う云うように被仰ったと言って、仏教は斯う云うものであると言って話もする。またキリスト教は斯う云うものである。耶蘇はこう被仰ったと言って話もする。また金光教の教祖は斯う言われた、天理教祖は斯う言われた、日本の『古事記』には斯う書いてある、老子には斯う云う事が書いてある、孔子は斯う被仰ったと云う風に、色々の教を一つにして説いて、相手に随って自由無礙に方便自在の説教をしているのでありますから、一定の生長の家の教えと云い教義と云うたらどんなものだと言われると困るのでありまして、生長の家独特の教義と云うようなものがないのであります。
 『信仰による平和の道』158ページ
 
 
  これらの先生のお言葉から生長の家は、宗派を超える教えとして出発したことが分かります。
 

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2016年8月13日 (土)

国際教修会1

 7月29日から31日に、生長の家森の中のオフィスで行われた「世界平和のための生長の家国際教修会」の私の話を、数回に分けて掲載いたします。

皆さま、本日は日本国内はもとより、遠くブラジル、アメリカ、カナダ、台湾、ドイツ、韓国からもご参加くださり、ありがとうございます。今回の教修会のテーマは、「宗教の自然破壊への態度と行動」ですが、自然を
破壊することは、人間を破壊することですから、大変深刻な問題です。これは科学技術の発達により、人間が自然を統御できると錯覚したことと、人類の多くが自然から離れて、人工物に囲まれた都会生活をするようになったこととも大いに関係しています。宗教は自然と人間との関係から発生したものですが、私は原理主義との関係で、宗教はどのようにして成立するものなのかということと、生長の家の事例、また国際平和信仰運動について、お話をさせていただきます。
 まず最初に、キリスト教と仏教を例にしてお話をさせていただきます。
 今日ここにお集まりの皆さま方は、生長の家の幹部の方々ですので、そのような話は「釈迦に説法」かも知れませんが、私たちの現在の運動をより明確にするために、復習をするような気持ちで、お聞きいただければと思います。
 キリスト教の成立については、今年の3月1日に行われました、生長の家春季記念日、生長の家総裁法燈継承記念式典で、総裁がお言葉を述べられましたが、その中でキリスト教の歴史に触れられています。この式典は、インターネットを通じて、世界の各拠点等に配信されましたので、ほとんどの方が聞いておられるのではないかと思います。
 総裁は、生長の家は今年立教八十七年で、人間に譬えればもう先が見えている年齢ですが、宗教の中には、すぐ消えていくものもあるが、世界宗教と言われているものは、何百年、何千年の歴史を持っており、そういう宗教から見たら、生長の家は、まだ草創期であると話されました。このことは、私たちの運動を考える時に、大変重要であると私は思いました。この草創期という言葉は、ただ単に歴史が短いという意味だけではなく、もっと深い意味があると考えます。
 歴史学者のポール・ジョンソンの本、「キリスト教の歴史」から引用されて、お話が進められました。
 キリスト教は最初ユダヤ教の〝分派〟〝イエス派〟として始まり、次第に伝統的なユダヤ教から独立して一つの新しい宗教になったということですが、その期間がキリストの死後、三百年というのがポールさんの見方です。日本のキリスト教研究者の小田切雅也さんは、やはり「キリスト教の歴史」という本で、キリストの死後百年くらいであると書いているそうです。このように歴史家によって見解は多少違いますが、一つの宗教が新しい宗派として独立するには、それなりに長い時間がかかることが分かります。
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 また、総裁の著書、『信仰による平和の道』の中にも、キリスト教の歴史に触れたところがあります。
 キリスト教の信仰者にとっては大変重要である、新約聖書の冒頭にある四つの書、福音書を例に話されています。福音書はイエスの言葉がそのまま書かれていると信じられています。「マタイ」「マルコ」「ルカ」「ヨハネ」とそれぞれイエスの直弟子の名前がついています。これらの福音書につい
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て、学者が研究した結果、直弟子が文章を書けるような時期に、これらの福音書は成立していなかったということが分かっているそうです。直弟子がみんな死んでしまった後に、Gazou3


何者かの手によって福音書は作られたらしい。イエスを信奉する信仰集団の構成員が、イエスの教えを後世に伝えるとともに、自分たちの信仰運動を拡大するための典拠、つまり、教祖の先生がこうおっしゃっているという拠り所として書いたと思われるということです。
 福音書が後世の人によって書かれたという有力な証拠としては、新約聖書は初めからギリシャ語で書かれていたということです。イエスが話していた言葉は、「ギリシャ語」でも「ヘブル語」でもなく、「アラム語」でしたから、イエスの言葉を直接には理解しない人が書いたということになります。
 また総裁が、講習会等で話されることがありますが、キリストの生誕を祝うクリスマスは、古代ギリシャ、ローマで冬至の時期にあった祭り、不敗太陽神の祝祭を、キリスト教が拝借したものということです。多神教から、一神教のキリスト教に改宗した人達の中にも、昔からの祭りの習慣を大切にしている人が多く、それらの人々を教会に連れ戻す必要から導入されたということです。このように見てきますと、現在信じられており、重要な教えと思われるものの多くが、キリストの死後作られたものだということが分かります。
 次に仏教を見てみたいと思います。
仏教の歴史については、同じく『信仰による平和に道』の第一章に書かれています。
 仏教の開祖、釈迦の誕生は、紀元前、六二三年、五六三年、四六三年などいろいろありますが、八〇歳まで生きたというのが定説だそうです。いずれにしても紀元前三八〇年には釈迦は死没しています。ですから、それ以降に書かれた教典は仏説ではないということになります。そこから、仏説を信仰する小乗仏教と、釈迦の死後に書かれた「般若経」「華厳経」「法華経」「阿弥陀経」「維摩経」などを信仰する大乗仏教に分けられます。
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大乗以前の仏教は、社会的、文化的に恵まれた少数のエリート知識層によって維持され、民衆とは離れた立場から高踏的な宗教活動をしていました。釈迦を一個の肉体を持った歴史的人物として捉えていて、信仰者はその精進の道程を模範として自らの心を鎮め、教理を学び、煩悩を脱却して、涅槃に入ることを目指して修行していました。自分だけの解脱、すなわちニルバーナ(涅槃)に入ることをめざし、生前においては、完全な状態には到達しなかったということです。P14
 しかしそれでは、文字が読めず、あるいは煩雑な教理を理解する能力のない民衆に救いをもたらすことはできません。新興の商人層や民衆の精神的渇望に応えるためには、教えの解き方にも変化が起こるのは当然のことでした。
 大乗の教えでは、釈迦(ブッダ)は、一個の歴史的人物に限定されず、肉体人間を超えた理想的、超人的存在として捉えられました。そうでなければ、無学で煩悩具足した一般民衆を掬い取る力が不足すると、考えられたからだろうとのことです。日本に伝えられたのも、ほとんどが大乗の教えです。
 仏説以外は仏教に非ずという、原理主義的な考え方では、今日の仏教はなかったということがいえます。これはキリスト教も同じです。
 生長の家の場合を考えてみますと、もしかしたら多くの方は生長の家の教えはすでに完成している、「生命の実相40巻」の中に、全てがあると思っている方があるかもしれません。けれども、「日々の祈り」が書かれ「大自然讃歌」「観世音菩薩讃歌」が出されたのは、どういうことでしょう。総裁がよく言われるように「生命の実相」や「聖経」に、自然と人間について書かれていないわけではありません。けれども、それらが書かれた時代は現在のように環境問題が人間の生存を脅かすほど深刻ではありませんでした。それよりは病苦や生活苦が人々にとって大きな問題であったため、自然と人間の関係について強調されなかったということです。ですから「生命の実相」や「聖経」をよく読んでいた私たちは、自然と人間との関係についてあまり意識することがありませんでした。それを補うために新しい祈りや讃歌が出されたのです。いつも言われるように、宗教は時代の制約下にあるし、そうでなければ人々の要求に応えられず、時代から取り残されていくと云う事です。
 

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