« 国際教修会2 | トップページ | 滝川市に行ってきました »

2016年8月18日 (木)

国際教修会3

 生長の家は、「人類光明化運動」を1930年から行ってきました。その間に日本は、第二次世界大戦、敗戦を経験しました。終戦後の世界は、アメリカとソ連という左右の超大国が対立する冷戦の時代であり、生長の家はアメリカ側に立ち、自由主義の世界を支持しました。日本においては、共産主義勢力から日本を護るために、日本民族の意識の啓蒙に大いに努めました。
 雅春先生が亡くなられたのが、1985年です。戦争の時代を生きられ、その時代に必要なことを生涯かけて貫かれました。先生の死の4年後に、ベルリンの壁が崩壊し、ソ連も崩壊しました。核兵器による恐怖のバランスの中で、一触即発の状態だった時代は終わり、世界に平和が訪れると、多くの人が期待しました。けれども世界は冷戦によって抑圧されていた民族主義が台頭し、世界各地で紛争がおこりました。更に冷戦時代の過当な競争の結果として、地球環境の悪化が大きな問題と意識されるようになりました。科学技術の進歩は国際化を促進し、インターネットの普及により情報が地球を行き交うようになりました。
 そんな地球社会の変化をうけて、生長の家の運動は新たな方向に進むことになりました。
 1993年、谷口雅春先生生誕100年の年に、生長の家の運動は、時代に即応した運動に向かうために、「人類光明化運動」から、「国際平和信仰運動」となりました。この2つの運動は、目的と精神において、何ら変わるものではありませんが、もし違いがあるとすれば、3点だと示されています。
 
 1、生長の家が現代において目指すものは「世界平和」であることを明確にしたこと
 その理由として、人類光明化運動の「光明化」という言葉は一種文学的な表現で、「美しい」けれど、具体的にどういう状態かというとはっきりしない。しかし、「国際平和」という言葉は、明らかに国と国の間に紛争や戦争がない状態、さらにはお互いが協力し共存して繁栄する状態を意味することもあり、運動の目的が「国家間の平和」であることが明確になったと説明されてあります。
 
 2、その「世界平和」とは、政治力、あるいは核の抑止力によってもたらされる平和ではなく、唯一絶対の神への「信仰」によってもたらされる平和であることを明示したこと
 
 普通「平和運動」というと政治運動の一種であって、昔から行われている〝力のバランス〟による国際政治に反対して勧められたものがある。また、「平和維持」に力点を置くと、最近は核兵器ができたので〝核の抑止力〟を重視した政策もある。我々が担当するのは、政治や経済ではなく、私たちは「唯一絶対の神への信仰」を担当するのです。「被造物の中に敵と味方をつくって、敵をやっつける」というような中途半端な神様を私たちは信仰していない。このような神への信仰によって聖戦が行われます。私たちはお互いを神の子として認め合う信仰のもとに平和を実現するのが目的です。それが国際平和信仰運動の考え方です。
 
 3、「国際運動」として、各国の運動を統一的、組織的に立案し実行していくための各種の方策が講じられていること
 
 簡単に言うと、そういう目的の運動を各国がバラバラに行うのではなく、世界の色々な人の知恵を借りながら協力し、組織的に行っていく枠組みが示されている。具体的には、運動方針徹底の場には、海外からも多くの代表が来られているので、意見交換や意識統一が行われるというわけです。「人類光明化運動」として出発した当初は、どのように平和を実現していくかははっきりしていなかったし、当時は戦争の時代でした。その時代よりは少しは具体的に、方法論その他種々の仕組みが出来上がりつつあるのが今の段階だということです。
 
 
 そのようにして、国際平和信仰運動が1993年に始まり今年で23年になります。その間、様々なことがありましたが、国際運動として、今日のような国際教修会が2003年から始まりました。そして、人類が直面する喫緊の課題である、地球環境問題を解決するために、2000年には生長の家の環境方針が発表されました。
 2013年には、東京原宿から、ここ山梨県の北杜市の〝森の中のオフィス〟に移転して、さらなる進展を期して、運動を進めています。オフィスが移転して新たに始められたことは、皆さんよく御存じであると思いますが、国際運動としては毎月一回、各国の指導者がテレビ会議を行い情報交換をし、重要な問題を話し合うことをしています。
 〝自然と共に伸びる運動〟を私たちは今行っていますが、地球と世界の現状を見て、何をすればいいのかを真摯に問い、私たちは運動を進めています。
 今の世界は、物質主義、経済優先、効率優先で、物質的に豊かになった半面、世界は格差が生まれ、人と人とのつながりは希薄になり、社会は分断しています。物質偏重の偏った文明をバランスよくさせるためには、全ては一体であることを生活のあらゆる面で表現していかなくてはなりません。
 「大自然讃歌」の3ページから9ページ一行目までを読ませていただきます。
 
  神は唯一の存在なれど
  かくの如く多種、多様、無限豊穣を生み出し給う。
  地球の自然は個にして全、全にして個の姿を如実に現し吾らに神の無限相を顕示せり。
  森は一つ生命(いのち)の塊と見ゆれども、近寄りて見れば無数の生物種棲む多様なる生命共存の場、相互向上の舞台なり。
  生物種互いに与え合い、支え合い、共に競いつつ厳しい中にも動きと変化に富む美しき調和到るところに充満せり。
  個々の生物神の無限を表現する如く周囲へ広がり、高みを目指し、深みを極めんとし、大距離を移動し、形態を変化(へんげ)し他種を模倣しつつ独自性を現したり。
  これら生態系はすべての生命の共栄圏にして、個性保ちつつ無数に集まり地球の表面を覆い尽くせり。
  これまさに有限の中に無限現れ無限の中に有限同居する姿なり。
  神のアイデアと創造はかくの如く汲めども尽きず、数うれば限りなし。
 
 このような大調和した生命が生き生きと活動する世界に生きていることを、常に忘れず、全てのものの恩恵に感謝して、生活していきたいと思います。
 唯一絶対の神への信仰が強力なコトバの力となり、またコトバの力の表現として新しい文明の構築につながる生活の実践を以下のようにまとめました。
Kotoba2_2





 
1、 唯一絶対の神への信仰を深めるために三正行を実践する
2、 日時計主義で生活する
3、 『全ては神において一体』を生活に表現するために、むすびの働きを意識して生活する
4、 自他一体の愛の実践として、肉食を控える
5、 地産地消、家庭菜園、手作りなどを実践する。
6、 地球温暖化を促進しない生活を心がける。
 
 このような生活をしつつ、一人でも多くの人に生長の家を伝えていくことにより、平和な世界の実現に、皆さまとともに歩んで参りたいと思います。
 これで、私の話を終わらせていただきます。
 ご清聴ありがとうございました。

|

« 国際教修会2 | トップページ | 滝川市に行ってきました »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 国際教修会2 | トップページ | 滝川市に行ってきました »