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2016年8月13日 (土)

国際教修会1

 7月29日から31日に、生長の家森の中のオフィスで行われた「世界平和のための生長の家国際教修会」の私の話を、数回に分けて掲載いたします。

皆さま、本日は日本国内はもとより、遠くブラジル、アメリカ、カナダ、台湾、ドイツ、韓国からもご参加くださり、ありがとうございます。今回の教修会のテーマは、「宗教の自然破壊への態度と行動」ですが、自然を
破壊することは、人間を破壊することですから、大変深刻な問題です。これは科学技術の発達により、人間が自然を統御できると錯覚したことと、人類の多くが自然から離れて、人工物に囲まれた都会生活をするようになったこととも大いに関係しています。宗教は自然と人間との関係から発生したものですが、私は原理主義との関係で、宗教はどのようにして成立するものなのかということと、生長の家の事例、また国際平和信仰運動について、お話をさせていただきます。
 まず最初に、キリスト教と仏教を例にしてお話をさせていただきます。
 今日ここにお集まりの皆さま方は、生長の家の幹部の方々ですので、そのような話は「釈迦に説法」かも知れませんが、私たちの現在の運動をより明確にするために、復習をするような気持ちで、お聞きいただければと思います。
 キリスト教の成立については、今年の3月1日に行われました、生長の家春季記念日、生長の家総裁法燈継承記念式典で、総裁がお言葉を述べられましたが、その中でキリスト教の歴史に触れられています。この式典は、インターネットを通じて、世界の各拠点等に配信されましたので、ほとんどの方が聞いておられるのではないかと思います。
 総裁は、生長の家は今年立教八十七年で、人間に譬えればもう先が見えている年齢ですが、宗教の中には、すぐ消えていくものもあるが、世界宗教と言われているものは、何百年、何千年の歴史を持っており、そういう宗教から見たら、生長の家は、まだ草創期であると話されました。このことは、私たちの運動を考える時に、大変重要であると私は思いました。この草創期という言葉は、ただ単に歴史が短いという意味だけではなく、もっと深い意味があると考えます。
 歴史学者のポール・ジョンソンの本、「キリスト教の歴史」から引用されて、お話が進められました。
 キリスト教は最初ユダヤ教の〝分派〟〝イエス派〟として始まり、次第に伝統的なユダヤ教から独立して一つの新しい宗教になったということですが、その期間がキリストの死後、三百年というのがポールさんの見方です。日本のキリスト教研究者の小田切雅也さんは、やはり「キリスト教の歴史」という本で、キリストの死後百年くらいであると書いているそうです。このように歴史家によって見解は多少違いますが、一つの宗教が新しい宗派として独立するには、それなりに長い時間がかかることが分かります。
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 また、総裁の著書、『信仰による平和の道』の中にも、キリスト教の歴史に触れたところがあります。
 キリスト教の信仰者にとっては大変重要である、新約聖書の冒頭にある四つの書、福音書を例に話されています。福音書はイエスの言葉がそのまま書かれていると信じられています。「マタイ」「マルコ」「ルカ」「ヨハネ」とそれぞれイエスの直弟子の名前がついています。これらの福音書につい
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て、学者が研究した結果、直弟子が文章を書けるような時期に、これらの福音書は成立していなかったということが分かっているそうです。直弟子がみんな死んでしまった後に、Gazou3


何者かの手によって福音書は作られたらしい。イエスを信奉する信仰集団の構成員が、イエスの教えを後世に伝えるとともに、自分たちの信仰運動を拡大するための典拠、つまり、教祖の先生がこうおっしゃっているという拠り所として書いたと思われるということです。
 福音書が後世の人によって書かれたという有力な証拠としては、新約聖書は初めからギリシャ語で書かれていたということです。イエスが話していた言葉は、「ギリシャ語」でも「ヘブル語」でもなく、「アラム語」でしたから、イエスの言葉を直接には理解しない人が書いたということになります。
 また総裁が、講習会等で話されることがありますが、キリストの生誕を祝うクリスマスは、古代ギリシャ、ローマで冬至の時期にあった祭り、不敗太陽神の祝祭を、キリスト教が拝借したものということです。多神教から、一神教のキリスト教に改宗した人達の中にも、昔からの祭りの習慣を大切にしている人が多く、それらの人々を教会に連れ戻す必要から導入されたということです。このように見てきますと、現在信じられており、重要な教えと思われるものの多くが、キリストの死後作られたものだということが分かります。
 次に仏教を見てみたいと思います。
仏教の歴史については、同じく『信仰による平和に道』の第一章に書かれています。
 仏教の開祖、釈迦の誕生は、紀元前、六二三年、五六三年、四六三年などいろいろありますが、八〇歳まで生きたというのが定説だそうです。いずれにしても紀元前三八〇年には釈迦は死没しています。ですから、それ以降に書かれた教典は仏説ではないということになります。そこから、仏説を信仰する小乗仏教と、釈迦の死後に書かれた「般若経」「華厳経」「法華経」「阿弥陀経」「維摩経」などを信仰する大乗仏教に分けられます。
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大乗以前の仏教は、社会的、文化的に恵まれた少数のエリート知識層によって維持され、民衆とは離れた立場から高踏的な宗教活動をしていました。釈迦を一個の肉体を持った歴史的人物として捉えていて、信仰者はその精進の道程を模範として自らの心を鎮め、教理を学び、煩悩を脱却して、涅槃に入ることを目指して修行していました。自分だけの解脱、すなわちニルバーナ(涅槃)に入ることをめざし、生前においては、完全な状態には到達しなかったということです。P14
 しかしそれでは、文字が読めず、あるいは煩雑な教理を理解する能力のない民衆に救いをもたらすことはできません。新興の商人層や民衆の精神的渇望に応えるためには、教えの解き方にも変化が起こるのは当然のことでした。
 大乗の教えでは、釈迦(ブッダ)は、一個の歴史的人物に限定されず、肉体人間を超えた理想的、超人的存在として捉えられました。そうでなければ、無学で煩悩具足した一般民衆を掬い取る力が不足すると、考えられたからだろうとのことです。日本に伝えられたのも、ほとんどが大乗の教えです。
 仏説以外は仏教に非ずという、原理主義的な考え方では、今日の仏教はなかったということがいえます。これはキリスト教も同じです。
 生長の家の場合を考えてみますと、もしかしたら多くの方は生長の家の教えはすでに完成している、「生命の実相40巻」の中に、全てがあると思っている方があるかもしれません。けれども、「日々の祈り」が書かれ「大自然讃歌」「観世音菩薩讃歌」が出されたのは、どういうことでしょう。総裁がよく言われるように「生命の実相」や「聖経」に、自然と人間について書かれていないわけではありません。けれども、それらが書かれた時代は現在のように環境問題が人間の生存を脅かすほど深刻ではありませんでした。それよりは病苦や生活苦が人々にとって大きな問題であったため、自然と人間の関係について強調されなかったということです。ですから「生命の実相」や「聖経」をよく読んでいた私たちは、自然と人間との関係についてあまり意識することがありませんでした。それを補うために新しい祈りや讃歌が出されたのです。いつも言われるように、宗教は時代の制約下にあるし、そうでなければ人々の要求に応えられず、時代から取り残されていくと云う事です。
 

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コメント

谷口純子先生
合掌、ありがとうございます。
国際教修会にてのご講話をありがとうございました。ここに文書としていただけましたこと深く感謝申し上げます。理解度が増しました。こちらの最後の段落での御文章は、強烈な悦びであります。ありがとうございます。
            再拝
              ネイブ美枝子

投稿: ネイブ美枝子 | 2016年8月14日 (日) 02:33

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