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2016年8月17日 (水)

国際教修会2

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 また『宗教はなぜ都会を離れるか?』の中に、2012年の生長の家代表者会議で総裁がコトバの力について話されたことが掲載されています。この代表者会議では、『生命の実相』や『聖経』が自由に発行できないことについて、参加者に説明されました。次のように書かれています。「カタカナで書かれたコトバは心の中の波動みたいなものです。そのコトバから、身、口、意の表現が行われ、その結果として書物ができる。「生命の実相」や「聖経」が自由に発行できないことを大きな問題と思っているかもしれませんが、宗教上の教えで一番重要なのは何かと言えば、その書物のもとになったところの「コトバ」である。コトバさえしっかり把握していれば、結果としての「書物」は、身・口・意の表現を通していずれ出てくるので、それほど心配することはなく、大切なのは我々の信仰心、神への思い、確信、悟りなどコトバを明らかに把握することである」といわれました。
 谷口雅春先生の『新版 真理四巻青年編』から「コトバ」について、次のように、引用されています。
 
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 「これは宇宙に満つる霊(たましい)の振動であり、生命の活動であります。(中略)「想念の波」を起すと云うことであります。(中略)宇宙に満つる大生命の波動が想念即ちコトバであって、それがやがて形の世界にあらわれて来るのであります。だから事物の本質とは何であるかと云うと、此のコトバでありまして、形ではないのであります。」
  
 『生命の実相』頭注版第33巻、53ページには、谷口雅春先生はこのように説かれています。
 
   悟りという生々流動のいのちというもの、こいつは捉えることも形式化することもできないのですけれども、仮に、形式を駆使してそこに表現されるのであります。悟りは形に表現された時、すでに形にはまってくる第一歩があるのです。だからその表現形式が宗教だと思うとまちがいが起こるのです。形というものを通して表現されて生命がわかるというようになるので、悟りそのものは表現形式の奥の奥に形を超えてあるのであります。ですから生命を表現するには常に形をこしらえなければならず、また同時に常に形を破ってゆかなければならないのであります。生長の家それ自身の中にもやはりそれがあります。前にはこう説明してあるかと思うと、次には全然別のような説明の仕方がしてある。説明の仕方は形ですから、不断に変化しなければならないのです。みずから変化しない宗教は形骸化して他の宗教にとって代わられるのであります。昔からの宗教にも、新興宗教の出現や、宗教改革というものの中に、それがあるのであります。みずから宗教改革しながら進んで行く宗教であってこそ永遠に生きることができるのです。いっぺんこの形と定めて表現しても始終その形で固定してくると、またその次にその形を破らなければどうしても説明に堕し、形式に堕して生命を伝えることができないのであります。
   
  
 そして総裁は『信仰による平和の道』でこのように結ばれています。
 「宗教というものはそれぞれの発祥の地における地域的、文化的、時代的な特殊の要請にしたがって登場し、成立するものであるが、それが真理を説き、時代の変遷にもかかわらず発展していくべきものならば、それは成立当初のローカル色や特殊性から脱却し、普遍的な真理を前面に打ち出すとともに、伝播地においては、逆にその土地のローカル色や特殊性を吸収し、応用するだけの〝幅〟や〝柔軟性〟をもたねばならないことが分かるだろう。」
 生長の家は1930年に、谷口雅春先生と輝子先生、お二人で始められました。当初から教化団体生長の家として出発し、宗教を作るとか、宗教を始めるというようなお考えはありませんでした。人類の心を光明化しようという目的で始められました。ですから、教化団体生長の家という名前で、人類光明化運動が始まりました。
 生長の家が始まったころの日本や世界は、どういう状況だったかということも『信仰による平和の道』の291ページから書かれています。
 1927年(昭和2年)に、日本は中国に派兵しています。1928年には関東軍による満州の武力占領がおこなわれていきました。
 1929年、立教の前年ですが、ニューヨークのウオール街で起きた株価暴落がきっかけとなって、「世界大恐慌」に突入していきました。谷口雅春先生はそんな時代に「生長の家」誌を出版しようと決意されました。日本は「昭和恐慌」といわれる経済的大混乱に陥っていて、国内経済は3割くらい縮小し、世の中には失業者があふれ、中国大陸では戦争が始まっていました。今想像するだけでも、大変な時代です。
 「生長の家」創刊号の「巻頭の言葉」には、このように書かれています。
 
 蛇に睨まれた蛙は恐怖のために動けなくなって蛇にのまれる。
 国が国を恐れるとき莫大な軍費を要する。
 就職試験に臨んで恐怖心を起こす青年はその就職に失敗する。
 入学試験に臨んで恐怖する学生はその入学に失敗する。
 恐怖が自己の境遇を支配すること斯くの如く甚だしい。
 更にそれが自己の病気や健康に影響するに至っては云うまでもないのである。
 此の恐るべき恐怖心を人生より駆逐するべき道を示さんとするのが「生長の家」の念願の一つである。
 『信仰による平和の道』294ページ
 その次に「『生長の家』出現の精神とその事業」という御文章です。
 
 自分のかざす火は人類の福音の火、生長の火である。自分は此の火によって人類が如何にせば幸福になり得るかを示そうとするのだ。如何にせば境遇の桎梏から脱け出し得るか、如何にせば運命を支配し得るか、如何にせば一切の病気を征服し得るか、また、如何にせば貧困の真因を絶滅し得るか、如何にせば家庭苦の悩みより脱し得るか・・・・・・等々。
 今人類の悩みは多い。人類は阿鼻地獄のように苦しみもがきあせっている。あらゆる苦難を癒やす救いと薬を求めている。しかし彼らは悩みに目がくらんでいはしないか。方向を過っていはしないか。探しても見出されない方向に救いを求めていはしないか。自分は今彼らの行手を照す火を有って立つ。
        (同、295ページ)
 
 このような暗い時代に、人々の悩みを解決するために、自分は此の事業を立ち上げたのだと宣言されました。
 そして、日時計主義の生活を提唱され、言語の再現力、言葉の創造力の応用を勧められました。
 生長の家は、宗教ではなく教化団体だったのですが、1939年(昭和14年)、日本に宗教団体法という法律が制定されて、文部省の見解によると、生長の家は「教化団体」というよりは「宗教団体」であるということになりました。
 その辺のいきさつについて、総本山落慶記念に出された「神の真義とその理解」(日本教分社刊)に書かれてありますが、『信仰による平和の道』の158ページに引用されています。
 
 ところが生長の家は、教義と云っても生長の家独特の教義がないのであります。ないと言うとおかしいけれども、生長の家は仏教の話もする、お釈迦様は斯う云うように被仰ったと言って、仏教は斯う云うものであると言って話もする。またキリスト教は斯う云うものである。耶蘇はこう被仰ったと言って話もする。また金光教の教祖は斯う言われた、天理教祖は斯う言われた、日本の『古事記』には斯う書いてある、老子には斯う云う事が書いてある、孔子は斯う被仰ったと云う風に、色々の教を一つにして説いて、相手に随って自由無礙に方便自在の説教をしているのでありますから、一定の生長の家の教えと云い教義と云うたらどんなものだと言われると困るのでありまして、生長の家独特の教義と云うようなものがないのであります。
 『信仰による平和の道』158ページ
 
 
  これらの先生のお言葉から生長の家は、宗派を超える教えとして出発したことが分かります。
 

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