あいたくて ききたくて 旅にでる
私は最近「あいたくて ききたくて 旅にでる」小野和子著(パンプクエイクス刊)という本を手に入れました。書店の店頭にはなくて、注文して取り寄せてもらったのです。 この本の著者を知ったのは、NHKの「こころの時代」という番組で小野さんがインタビュ―に応えておられるところを偶然見たのがきっかけでした。かなりの年配と思われるその女性は、年齢を感じさせない明晰さでよどみなく話を進めていました。話の内容から、各地に伝承されている民話を訪ねて、仙台を中心に民話の語りを聞くために50年も活動を続けて来られたことがわかりました。。
民話を語ってくださる方を訪ねて聞くという営みを、民話の「採集」や「採話」と言ったりする場合があるそうですが、小野さんは「採訪」と言っていて、その意味について『「【聞く】ということは、全身で語ってくださる方のもとへ【訪う】こと」という思いが込められています。』と言われます。
今年八十八歳になられた小野さんは、三十代後半から週末になると夫に三人の子供を預けて、仙台周辺の村々を訪ね歩いたそうです。ノートとテープレコーダーをもって「幼いころに聞いて憶えている昔話があったら、聞かせてくださいませんか」と言って、戸を叩いたそうです。何の収穫もなく手ぶらで帰ることもあったそうですが、思いがけない貴重な出会いもありました。私はそのひたむきな姿を想像して、まるで托鉢に歩く僧侶ようだと思いました。
この本の中に収録されているのは、昔話もありますが、それよりも物語を語る人の実人生が話されていて、人の暮らしの真実が見え、私には興味深いものでした。
ヤチヨさんという人が語る「猿の嫁ご」という話は、私が幼い頃母が枕元で語ってくれた昔話で、なじみがありました。
ある所に父親と三人の娘がいて、父が農作業から帰ってくると娘は飲み物を進めます。けれども父は「湯も茶もいらねえが、山の猿のところに嫁に行ってくれねえか」と娘に頼むのです。長女も次女も父親の申し出にとんでもないことと怒りますが、三女はなぜかすんなりと父の申し入れを受け入れます。
何故こんなことになったかというと、東北地方は米があまり出来ず、加えて山の上の棚田となると水がなかなかたまりません。父親は「誰か田んぼに水を入れてくれたら、三人いる娘の一人を嫁にやる」と、独り言のように言ったのです。すると猿が来て、田んぼにたっぷり水を入れてくれたので、約束を果たさなくてはならなくなりました。この話の結末は、娘が高いところにある藤の花をとってほしいと猿に頼み、藤の花を取ろうとした猿は枝が折れて川に落ちて死んでしまいます。そして娘はとっとと家に帰るというものです。
「猿の嫁ご」の話は、誰もが知っている話だそうです。私の祖母は新潟の長岡の人でしたが、祖母から母に伝えられました。この話の背景には、かつての女性が置かれた環境があります。女性は一度嫁に行ったら、婚家の風習に合わせ自由に何かをすることはできませんでした。気に入らない環境でも簡単に実家に帰ることもできません。ところがこの話の三女は、素直に父の願いを聞き入れるのですが、最後は不合理な環境から自分の采配で抜け出すのです。そのたくましい生き方に、女性たちはあこがれを持ったのかもしれません。
幼い頃、なんとなく面白いと思って聞いていた話が、こんな形で女性の人生に影響を与えていたことを知り、民話の奥深さに新たな視点を持ちました。
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