モスクワの婦人
私はロシアがソ連と呼ばれていた時代に、航空会社の客室乗務員としてモスクワに何度か行ったことがあります。それは1970年代で、当時日本で国際線を運航していたのは一社だけでした。
東西冷戦下でしたから、モスクワ便はありましたが、限られた人数しかビザが発給されません。取得できたのはパイロットと客室乗務員併せて、50人か100人位だったのではないかと思います。ビザの有効期間も半年か1年で、ビザの持ち主はその間何度もモスクワに行くことになりました。
私はそのころソ連という国は、言論の自由がなく、政府の方針に逆らったらすぐに捉えられる恐ろしい国だと思っていました。実際モスクワの空港に降り立ったら、銃を構えた兵士がいて重々しい雰囲気でした。外国人専用のホテルも外見は重厚で立派なものでしたが、床には絨毯もなく板張りで、素足で歩くと木の縁のささくれが足に刺さりそうでした。いつも監視されているようで、盗聴マイクが設置されているというようなこともいわれました。
その時代は最近の状況と同じで、ソ連の上空を外国の飛行機が飛ぶことはできませんでした。ですから日本からヨーロッパへ行くには、いったんアラスカのアンカレッジに寄航し給油後ヨーロッパに向かうのでした。そのためずいぶん時間がかかりました。ソ連崩壊後は、ロシアの上空を飛行することが可能となり、ヨーロッパは近くなったのです。
ソ連時代は、食料や物資が少なく、人々は長い列を作っていました。ドルショップに行けば物は豊富にありましたがとても高価で、一般の人が買えるものではありません。モスクワでは会社が、滞在する乗務員のためにキッチン付きのアパートを借りていて、私たちはそこで食事を作ることもありました。東京から食材を持ってきて、お鍋やすき焼きなど簡単なものです。食事事情が大変貧弱で、ホテルで食事をすると2時間から3時間かかるのが普通でした。考えられない効率の悪さだったのです。
そんなところでしたから、私はこのような国で生きることができる人は、私とは全く違う人種であると思っていました。20代で人生経験も浅く、ものごとを客観的に広い視野で見ることができなかったのでした。今のロシアは物も豊富にあり、お金さえ出せば誰でも自由に買い物ができるようになったそうです。
このような私のモスクワでの体験は、以前にもエッセイに書いたことがあります。数日をモスクワで過ごした私は、日本に帰るために会社が用意した大型バスに10数名の仲間と乗っていました。モスクワのシェレメチェボ空港までは1時間くらいかかるので、皆それぞれ窓側に1人で座っています。窓の外の景色を見ていた私の目に、1人の老婦人が大きな袋をもって道路を横断するのが見えました。灰色の地味なコートを着て、頭にも灰色のスカーフを被っていました。その夫人の姿を見ていたとき、私の心に突然天来にひらめきのように「ああ、そうなのだ」と、今まで私の心を覆っていたベールが取り除かれました。
私はその時までソ連のような特殊な体制で生きている人は、自分とは全く違う人種だと思っていたのでした。ソ連という国とそこで暮らす人とを同一視していたのでした。けれども、ここで生きているのは私と同じ人間で、その人にも当たり前の日常があり、喜びや悲しみを経験しながら普通に生きているのだということが、一瞬にして理解できました。こんな当たり前のことがなぜわからなかったのか、今では不思議な気がしますが、私の人間に対する理解がそれほど未熟なものだったのでしょう。
我が家にある地球儀は冷戦時代のものなので、ウクライナはソ連の中に含まれています。モスクワの近くにキエフがあります。冷戦後ウクライナは独立国となりましたが、今でもお互いの国に親戚や友人知人が沢山いるそうです。そんな2つの国が戦争しているのです。それもロシアからの一方的な侵略戦争です、ロシアの人には報道規制がかけられて真実が伝えられていません。やがて本当のことが分かるときが来るでしょう。その時ロシアの人は真実を知り憤り苦しむでしょう。真実を伝えないことは大きな罪であり、人権侵害も甚だしいものです。
私は数日に一回、パン焼き機でパンを焼きます。今日も強力粉に全粒粉と干しブドウ、ヨーグルトを入れてパンを焼きました。パンが焼けると部屋中に良い香りがして、幸せな気持になります。こんな当たり前のなんでもない日常に、大きな喜びがあります。その日常がウクライナの人々から奪われています。ウクライナの人々の支援のために募金などをしようと思っています。
それと共に、私にできる世界の平和に貢献できることは、自分の接する人を愛することです。親切を尽くすことです。笑顔で挨拶することです。世界の平和を願うと言いながら、夫婦や家族がいがみ合っていては、それは平和ではありません。自分の都合を優先せず、目の前の人に愛を尽くします。
モスクワ郊外には広大な白樺の原野が広がっていました。ロシアに真の平和が訪れることを願います。ロシアからウクライナへの侵略戦争が1日も早く終わることを祈念します。
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コメント
合掌
素晴らしい内容のお話をありがとうございます。
義理の兄が初めてソ連に行って帰って来た時に、とにかく寒い国でと、「この毛皮の帽子を被らないと」と、見せてくれたことと、お土産の木彫りの人形マトリョーシカが印象に残っております。
また、ヨーロッパに向かう際にアンカレッジ経由で行ってましたが、ロシアの上空を飛ぶ直行便になったと聞いたので搭乗しました。眼下は広大なツンドラ地帯で驚いた記憶があります。ロシアを身近に感じたのはそのくらいです。
『今でもお互いの国に親戚や友人知人が沢山いるそうです。そんな2つの国が戦争しているのです。それもロシアからの一方的な侵略戦争です、ロシアの人には報道規制がかけられて真実が伝えられていません。やがて本当のことが分かるときが来るでしょう。その時ロシアの人は真実を知り憤り苦しむでしょう。真実を伝えないことは大きな罪であり、人権侵害も甚だしいものです。』の御文章に、両国の方がお気の毒で涙が出て、たまらずコメントを書かせていただきました。
そして教えて頂きました『私にできる世界の平和に貢献できることは、自分の接する人を愛することです。親切を尽くすことです。笑顔で挨拶することです。』を、これからもさせていただきます。わたくしも
『ロシアからウクライナへの侵略戦争が1日も早く終わることを祈念します。』
遺恨は水に流しましょう。どんな言い分があっても戦争は反対ですと、声を大にして言いたいです。P4U-ウクライナに平和を!ロシアにも平和を!世界の平和を祈念させていただきます。感謝合掌
携帯アドレスのためPCからのメールは受け取れません。申し訳ございません。
投稿: 千葉明子 | 2022年4月10日 (日) 00:05
合掌ありがとうございます。
コンゴ紛争において1996年から2007年までの死者(戦争死以外も含む)が540万人以上でこれは過去70年で最大のものだということを最近知りました。コンゴは、コバルト、金、ダイヤモンドなど豊富な地下資源を有している国ですが、アフリカの中でも特に経済的に貧しく、またコレラやエボラ出血熱などの感染症や紛争もあり、人々は非常に厳しい生活環境に置かれているそうです。
国連難民高等弁務官事務所によると、2020年末時点でのコンゴ難民の数は約84万人、国内避難民は約520万人だそうです。
ー世界平和に貢献出来ることは、『自分の接する人を愛すること、親切を尽くすこと、笑顔で挨拶すること、目の前の人に愛を尽くすこと』ー 純子先生のこのお言葉を心深くとめて、世界平和を日々祈りつつ、行動してゆきたいと思います。 再拝
投稿: 柳光貴代美 | 2022年4月11日 (月) 09:23
合掌、有難うございます。純子先生の細やかな・柔らかく・本当に(純粋な)神様の御心を観じさせて戴きました。久しく講習会がなされない中で長年会場司会役を務めさせて頂いた時の壇上下添えで学ばせて頂いた懐かしいトキメキを与えてくださいました。新バージョン世界平和の祈りを全身全霊で行事つつ、今、私の出来る精一杯の真心を発揮してまいります。感謝・合掌・再拝🙏
投稿: 内田佳香 | 2022年4月13日 (水) 10:06