厳しい冬の恵み
冬の厳しい自然の変化は、人の気持ちを前に進める手助けをしてくれると近ごろ気づきました。
10月半ばから11月にかけて、私の暮らしている八ヶ岳南麓は紅葉の美しい季節を迎えます。
とりわけ今年の秋の紅葉は、寒さが急激に進んだからなのか豪華絢爛で、何度も車や足を止めてカメラに収めました。この季節、森全体が明かりを灯したような華やかさとなり、いつまでも残しておきたいと勝手なことを願いますが、やがて紅葉していた木々は葉を落とし、森の中は冬枯れの寂しい風景に代わります。
そして12月になると冷たい雨の翌朝、地上では大きな霜柱が立ち、見上げれば山にはうっすらと雪が積もっています。真冬のような厚い雪ではなく砂糖菓子をまぶしたような山の眺めは、絵本の挿絵のようで神秘的でさえあります。
冬の始まりも美しいものだと好ましく思い、いよいよ本格的な冬の到来に気が引き締まります。そのころはまだ、早朝の外気温はマイナス1度、2度ですが、1月の半ばごろには10度前後の朝もあります。
八ヶ岳南麓は、太平洋側に属しているので、新潟のような豪雪地帯ではありません。
雪が積もったといっても、多くて20センチから30センチで冬は晴天の日も多いのですぐ解けます。
東京から移り住んでまもなく10年になるので、それぞれの季節の過ごし方が漸く体に慣れてきたように思います。
自然の只中にいると、季節の巡りを知るのはカレンダーではなく、周りの森、風、空、雲、鳥、鹿などの動物が教えてくれます。鹿などは冬毛に替わり、一瞬あの黒いものは何かと見間違いそうになります。
また冬の夜空は空気もキーンと冷えて澄み渡り、満点の星は星屑と言われるほどに空を埋め尽くします。これらの星は何万光年のはるか彼方から光を放っていて、今はもうない星もあると考えると、自分がこうしてここに生きていることが、とても不思議に思えることがあります。
この地上での私の命は、たかだか百年前後ですが、「永遠に生きる私はあの星たちのように光を放ち、周りの人やものたちと交わりながら生きていこう」
そんな前向きな気持ちが心に浮かんでくるのは、冬の厳しさに対峙するからこそと思えるのです。
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