« 栗の実をいただく | トップページ | 紅葉の海の中で »

2023年11月 2日 (木)

恵美子先生の思い出

  生長の家白鳩会第2代総裁・谷口恵美子先生は、10月22日に100歳の天寿を全うされ、霊界へ旅立たれました。
 生前のご指導に心から感謝し、謹んでご冥福をお祈りいたします。
 _000042_20231102111701 私は現在、生長の家公邸となっている東京原宿の「お山」と呼ばれる場所で、谷口清超先生、恵美子先生のお住いの隣に、30年近く住まわせていただきました。
  恵美子先生との思い出を少し書かせていただきます。
 先生は、皆さんもご存じのようにお花が好きで、小鳥などの小さな生き物にも温かい眼差しを向けられました。花が好きな恵美子先生の所には、信徒の方からお花の苗などが送られてくることがありました。ある時、エビネランの苗が沢山届きました。私の家の周りにも植えるようにと勧めてくださり、私がせっせと植えていると、清超先生が来られて「強制労働させられているね」と言われたことがあり、とても印象に残っています。これは勿論、清超先生独特のユーモアです。
 _000039_20231102111601  恵美子先生は鈴虫の音も好まれ、毎年冬を越して翌年の夏に孵化させるのを楽しみにしておられました。
 日本の季節ごとの習慣を大切にされ、お母さまの輝子先生の時代からずっと続けられていた着物の虫干しは、私にとっても毎年の習慣となりました。虫干しは秋の天気の良い日にお座敷を開け放して、お手伝いの人も動員して何日も行われました。
 私の都合を聞いてくださり、箪笥の引き出しごと運んで、引き出しも虫干しをするのです。
 恵美子先生との思い出は色々ありますが、私が日本武道館で行われた生長の家の全国大会で初めて講話をすることになり、とても緊張していた時、私の背中をやさしくさすってくださり、「大丈夫、大丈夫」と言ってくださり、心強く思ったものでした。
 時には個人的なことも話してくださいました。先生には『子として母として』という著書がありますが、その題名を見て、夫の清超先生が「妻はどうした?」と言われたそうで、日本教文社の人に題名を提示されたとき深く考えずに、「清超先生には申し訳なかったと思った」と話されました。
 また清超先生と父親の雅春先生は食事の好みが違い、清超先生が「美味しい」と思われたものを、雅春先生は「これはもう作らない方がいい」と言われるくらいだったそうです。
 私はその話を聞いて、なぜか目頭が熱くなるような思いがしました。
 尊敬する父親と、愛する夫との間で、言葉にはならないご苦労があったのだと考えたからでした。
 恵美子先生は、やさしい気持ちになる聖歌を沢山作ってくださいましたが、『ほほえみて』は、私が長男を出産後、その子を抱いているところを見て作られた、と聞きました。
 恵美子先生の思い出は尽きませんが、いつも私のことを人に良いように話してくださり、「恵美子先生がこう言われていましたよ」と、何度も嬉しい思いを経験しました。
 限りない感謝の思いを籠めて在りし日を偲び、永遠の命に合掌させていただきます。

|

« 栗の実をいただく | トップページ | 紅葉の海の中で »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 栗の実をいただく | トップページ | 紅葉の海の中で »